平成は甚大な自然災害が続いた時代でもあった。東日本大震災から8年を迎えるにあたり「災害と野球」を取り上げる。

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将の言葉に耳を疑った。

「オレらは野球をやるしかないんや!」

激動の2011年が、楽天平石洋介監督(38)現役最後のシーズンになった。選手会の役員として、選手会長の嶋と主将の鉄平を支える立場。ベテランの山崎や山村らに助言も仰ぎ、3月11日以降は毎日のようにミーティングを重ねた。

「『今は野球どころじゃない』というのが、当時の僕らの正直な、素直な気持ちでした。仙台に家族を残している選手やスタッフもいましたし、被災地に物資を運んだり、野球の前に何かできることはないかと、ずっと考えていました」

オープン戦の遠征先から仙台へ戻ることを望む選手たちと、それを受け入れなかった就任1年目の星野監督。1度は溝が生まれた。

「後々(コーチとして)星野さんと多くの時間を一緒に過ごす中で分かったんです。勇気を与える、何かを伝える。僕らにとって、まず一番は野球。当時は目の前のことにいっぱいいっぱいで、そこまで頭が回らなかったけど…僕らが帰ることで邪魔になる、もっと被災地に必要とされている人が行けなくなる可能性だって十分あった。すごく大変で、難しい状況。星野さんも本当はあんなこと、言いたくなかったと思う。でも、心を鬼にして言った。すごいと思います」

仙台、宮城、東北のために-。はるかに強くなった思いとは裏腹に、支援の難しさに直面することもある。熊本地震が発生した16年オフ、PL学園高の同級生が被災した益城町を訪れ、野球教室を行った。今オフも元ソフトバンクの斉藤和巳氏らの呼びかけに賛同して熊本へ足を運んでいる。

「『復興』という言葉を大々的に使ってほしくないという人もいるんですよ。新しい家を建てたり、まだ仮設住宅に入っていたり、いろんな人がいる。軽々しく、言っちゃいけない」

楽天にも、当時を知らない選手が増えてきた。11年から在籍する現役選手は青山、嶋、美馬、銀次、戸村、塩見、辛島の7人だけ。被災地球団としての思い、使命を共有していくことは簡単ではない。

「この球団に入る、イコール、それは絶対に切っても切れないことですから。ずっと苦労されている方がいるということを、僕らの中で忘れちゃいけない。風化させてはいけない。何もないところから始まった楽天の歴史を語り継ぐように、伝えていかないといけないんじゃないかと思う」

絶対の軸を亡き恩師に学んだ。

「僕らができること、まずは野球ですよ。野球で皆さんに思いを伝える、姿を見てもらって何かを感じてもらえるような集団でありたい。そして、一緒に歩んでいきたい」

8年の時をへて、自らがその先頭に立つ。【亀山泰宏】