山口県の主な公立校の甲子園出場は宇部商が19度(春7夏12)、下関商が23度(春14夏9)を誇る。この2校に、過去夏1度の出場を経験している萩商(現萩商工)を加えた商業高校3チームは相互の交流が盛んだった。宇部商を率いた名将、玉国光男は言う。

 玉国 私が現役時代は下関商が強かった。それに憧れて私も努力した。毎年春と秋に「三商リーグ」といって宇部商、下関商、萩商と定期戦をしていた。互いにレベルを高め合っていたんです。

 甲子園出場の全国チームでも商業高校が一時代を築いていた。山口県でも同じで「三商リーグ」を実施してきた歴史が公立校のレベルアップに大きく貢献してきた。

 下関商は「黒い霧事件」をきっかけに野球界から追放されたが、05年に復権した右腕、池永正明投手を擁した63年のセンバツに初優勝。その夏も準優勝と、輝かしい歴史を誇る。15年夏、左胸に「S」のユニホームが甲子園に20年ぶりに登場し、オールドファンを魅了した。玉国は古豪に追いつけ追い越せとばかりに「伝統」を盗んだ。

 玉国 夏のスポーツは冬で決まると思っている。試合と同じことで、体力づくりで妥協したら「負け」てしまう。徹底的に厳しくさせた。

 10トントラックのタイヤを起こしては転がす繰り返しの練習や、坂道ダッシュ、近くの神社の100段石段登りなど、野性味あふれるサーキットトレーニングで体力を培った。

 宇部商野球部に入る選手らはすべて地元出身。「甲子園に行くために」と勉強でもレベルの高い宇部商合格を目指す。

 玉国 頭の回転のいい子も多く、意識も高い。そんな子らが甲子園に行った先輩たちを見て育つ。先輩たちも後輩に対して「俺らと同じ練習をしてるから甲子園に行ける」と励ます。いい循環が生まれるんです。それが伝統となるんです。

 山口という地理的状況から、県西部は福岡の高校へ、県東部は広島の高校に「引き抜かれる」ことが多いという。昔はそうでもなかったが最近はその傾向が強くなっている。特待制度のある私立校でもなかなか集まらなくなったのが現状だ。

 玉国 地元の子らが頑張って甲子園に行くのが本来の姿。それはこれからも続けていくべきだと思う。山口県では、今後も公立が強くなってほしい。

 玉国は宇部商監督を退いた後、現在は中学生の硬式「宇部ボーイズ」の監督を務める。地元宇部の「金の卵」を育て、地元高校に輩出することで、山口県の高校野球を底辺で支えている。

 玉国 宇部商の過去のOBがたくさん宇部に帰ってきて、その子供らが野球をしている。今、ちょうどそのサイクルなんです。

 88年完全試合寸前からの逆転2ランを放った坂本雄の息子は宇部ボーイズに所属している。悲運のサヨナラボーク、左腕藤田修平の息子も野球をしているという。

 下関商をはじめ、公立校の強さを引き継いだ宇部商。その伝統は確実に次世代に受け継がれていく。(敬称略)【浦田由紀夫】