近大付に敗れ、肩を落としベンチ前に整列する狭山ナイン(撮影・前田充)
近大付に敗れ、肩を落としベンチ前に整列する狭山ナイン(撮影・前田充)

 30年前に戦わなければ、この夏はなかったかもしれない。8日の高校野球南大阪大会1回戦に出場した狭山は80年の創立当初、野球部がなかった。学校が住宅地にあったため、バッティングの音やランニング中の声など騒音を考え、創部が禁止されていたからだ。

 7期生だったOBの宮城功さん(48)は、友人に誘われて創部へ立ち上がった。高校2年生の時に学校に訴え、まずは1年間、同好会としての活動からスタートした。当時の監督には「続けても認められるとは限らない」と厳しいことも言われた。創部が困難だと知り、10人以上いた仲間は3人まで減ったが、宮城さんが活動を諦めることはなかった。3年生の5月、夏の大会直前でやっと創部の許可が下りた。職員会議では最初否決されていたが、当時の校長が後押ししてくれたようだった。夏の大会まで練習試合は4試合のみ。「絶対見返そうと思っていました」と1年生とともに挑んだ最初で最後の公式戦。大院大高に0-10で6回コールド負けだった。

 宮城さんは10年前から、野球部の試合結果を伝える新聞を作っている。仕事が休みの土日はほとんど練習試合に訪れ、今では新聞は600号以上を数えるほど。この日の試合はプロ注目の大石晨慈投手(3年)擁する近大付に1-4で敗れたが、6回まで1-1の接戦。強豪私学に善戦した後輩たちを見て「今日の試合を見て、すごく進歩したなと思いました」と宮城さんは声を震わせた。試合すらできるか分からなかった当時から、ここまで来た。この日の試合結果も、いつもの新聞で伝えるつもりだ。【磯綾乃】

宮城さんがメールで配信している狭山野球部の新聞(撮影・磯綾乃)
宮城さんがメールで配信している狭山野球部の新聞(撮影・磯綾乃)