日本へは約1万3200キロ。「プロ野球選手」という夢だけを追って、10代半ばで海を渡ってきた選手がいる。

大阪偕星学園のダビット・バチスタ・モレノ外野手(3年)とワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ投手(3年)は、ドミニカ共和国出身。今から3年前の18年11月、日本へやってきた。飛行機でメキシコまで約10時間。乗り換えのため10時間滞在し、そこからまた約14時間。ダビットが日本について知っていたのは「イチローが生まれた国」ということだけ。エンゼルス大谷翔平や元ヤンキース松井秀喜も知っていたというワーネルも、日本語が覚えられるのか、異国への旅路は不安でいっぱいだった。

ドミニカ共和国では有望な選手がいれば、中学を卒業するくらいに大リーグから声が掛かるという。2人にその声は届かなかった。それでも夢を諦めなかったのは「家族に楽をさせたい」という強い思いがあるから。母国では、大リーグで活躍した選手はそろって、家族のために立派な家を建てていた。チャンスをつかみたい一心で、来日を決めた。迷いはなかった。

日本でのコミュニケーションは当初、音声翻訳機「ポケトーク」を使った。日本では定番のみそ汁や麦茶も、最初は飲むことができなかった。言葉も通じず、慣れない環境。ダビットは入学直後、ベンチ入りできない悔しさもたまっていた。「ドミニカ、絶対帰る!」。泣きながら、バットを振り続けた。投手のワーネルは、日本の寒さに加えて母国のマウンドとの高さや硬さの違いから、すぐに肘を痛めてしまった。もともと137キロだった球速は110キロまで落ちたが、投げられない期間は地道にウエートトレーニングに励んだ。

野球にひたむきに向き合う姿に、首脳陣もチームメートも気づいていた。1年秋からメンバー入りを勝ち取ったダビットは、最終学年で主将に任命された。「びっくりしました。そうですね、日本語まだやったんで、どうしようかなと思って」と、当時を笑って振り返る。ダビットは毎日午前6時15分からバットを振り込み、朝から汗だく。練習に人一倍打ち込み、片付けも誰より率先して行っていた。異例ともいえる留学生の主将就任も、首脳陣に異論はなかった。言葉がスムーズに通じなくても、副主将がサポートしてくれた。なによりダビットの背中を見て、後輩たちもついてきた。

実直な姿勢はワーネルも同じだった。投手練習の合間に、1人で黙々と走り込む姿を誰もが見ていた。ベンチ入りは3年春からだったが、フォーム改良も経て球速は145キロまで上がった。3年間目標を見失わず、諦めずに努力し続ける姿。2人はチームのお手本だった。

その2人も、日本で学んだことがたくさんある。「向こうでは個人練習やった。でも日本はチームメート、みんな一緒の練習やった。バントとか、エンドランとか、勉強しました」と、ダビットは振り返る。ワーネルも「日本に来たらみんな一緒に練習やって、コーチに教えてもらったり」と続けた。ドミニカ共和国では、基本は個人練習。チームプレーの大切さや、仲間とともに練習する楽しさを、日本に来て知った。

あいさつから教わった日本語も、高校1年の後半にはほとんどコミュニケーションを取れるようになった。2年の夏までは取材を受ける際に翻訳機を使っていたが、それも必要なくなった。最初に「オナカスイタ」を覚えたダビットは、今では唐揚げとラーメンが大好物。ワーネルは独特なにおいとネバネバが苦手だった納豆を食べられるようになった。真っ白でフワフワな雪を初めて見て、満員電車に驚いた。異国でたくさんの経験や思い出を重ね、成長できた3年間だった。

学校の定期テストは、他の生徒たちと全く同じものを受けていた。「漢字もカタカナもちょっと、頭痛くなるっす(笑い)」とダビット。ひらがなは読めるようになったが、3種類を使う日本語の文章には苦戦。テストで点数が取れなかった分は、課題をこなして単位を修得し、学業にも懸命に取り組んできた。ワーネルの好きな日本語は「諦めない」。家族のために、野球で成功する-。ぶれない夢があるから、何事にもひたむきに向き合うことができる。

今年の10月11日。プロ志望届を出したダビットとワーネルは、3年間を見守ってくれた野球部のコーチ2人と一緒に、ドラフト会議を見守っていた。2人の名前が呼ばれることはなかった。悔し涙がこぼれたが、今はまたしっかり、夢を見つめている。


ダビット 最初、悔しかった。呼ばれてほしかった。家族のために。でも、ダメだったけど、まだ先あるから、4年頑張って、ドラフト1位なりたいと思います。自分(高校)3年で17本のホームラン打ったんで、大学行っても50本くらい打つバッティング、守備もうまくなりたい。


ワーネル ちょっと悔しいすけど、まだチャンスありますんで、大学でまた、僕とダビットは、また4年間頑張って、それでドラ1になりたいと思います。自分は大学行ったらもっと日本語うまくなりたいす。もっと球速く投げたいす。


2人は日本で大学に進学し、4年後のプロ入りを目指すことを決めた。夢をかなえるまで、挑戦をやめない。(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)


◆ダビット・バチスタ・モレノ 2003年12月2日ドミニカ共和国生まれ。178センチ、102キロ。右投げ右打ち。外野は左翼、右翼などを守る。大学進学を見据えて、三塁にも挑戦中。高校通算17本塁打。5人きょうだいの一番上。来日後、朝、昼、夜以外にも食べ続け、体重は30キロ以上も増えた。愛称は「ダビ」。

◆ワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ 2003年9月17日、ドミニカ共和国生まれ。173センチ、73キロ。現在の最速は145キロ。右投げ右打ち。7人きょうだいの4番目。好きな食べ物はすし。愛称は「ワナ」

ドミニカ共和国から日本に野球留学したワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ投手(大阪偕星学園提供)
ドミニカ共和国から日本に野球留学したワーネル・マニュエル・リンコーン・デ・ラ・クルーズ投手(大阪偕星学園提供)
ドミニカ共和国から日本に野球留学した、大阪偕星学園のダビット・バチスタ・モレノ外野手(大阪偕星学園提供)
ドミニカ共和国から日本に野球留学した、大阪偕星学園のダビット・バチスタ・モレノ外野手(大阪偕星学園提供)