「あのダルビッシュがなあ…」とつぶやきながら。日本高野連の名物事務局長だった田名部和裕さんは笑っていた。パドレス・ダルビッシュが日米200勝を達成した数日後だった。
快挙を伝える記事の中、日本ハム時代の喫煙事件が取り上げられていた。プロ1年目の春季キャンプ中、たばこをくわえながらパチンコに興じる姿を写真週刊誌が掲載。球団から無期限謹慎処分を受けたが、東北(宮城)3年秋にも似たようなことがあった。2004年9月3日発売の写真週刊誌が「超高校級選手の喫煙疑惑」として上半身裸、短パンでたばこを吸う姿を載せた。実名報道ではなかったが、該当者はダルビッシュと思われた。当時のダルビッシュはAAA世界選手権(台湾)に参加する高校日本代表チームに選ばれており、その合宿中に発覚。事件に対応し、事実確認などを行ったのが田名部さんだった。
ダルビッシュを含めた代表チームを台湾に送り出し、田名部さんは両親に会って事情を聞いた。母郁代さんは息子をかばい続けた。「この写真は今の有ではない。後ろ髪がカールしている」と説明し、写真は下級生のときのもので3年生の今は喫煙などしていないと主張して譲らず。両親との面談を終え、台湾に向かった田名部さんは現地でダルビッシュと向き合った。
「お母さんがこの写真見て、ぼくにどんな説明したか想像つくか? ともかく、何が何でも『今の有じゃない』って言うねん。ぼくにしたら、わかりましたと言うしかない。お母さんてすごいなあ…と思ったんや。わかるか? と。そしたら、彼はぽろぽろって泣きよったんや」
マウンドでは傲岸不遜な雰囲気すら醸し出す18歳が、涙をこぼした。「お母さんがどれだけ心配して、かばってるかをよう考えて、やりなさい」と伝え、話を打ち切った。
写真が世に出たとき、代表チームから外そうという意見も出た。1年前の秋にも、明治神宮大会で当時2年のダルビッシュは球審の判定に不満をもらし、監督と野球部長が日本高野連から注意処分を受けた。またか…と受け止める関係者もいた。だが日本高野連の脇村春夫会長(当時)と田名部さんは「疑わしきは罰せず」と確認し合い、メンバー変更をしないことを決めた。チームを率いる渡辺元智監督(横浜監督)も、実力、実績に沿った起用でダルビッシュにキューバとの決勝の先発を任せた。ただ試合前後にチーム総出で行うグラウンド整備では、全くの“戦力外”。「トンボ持って立ってるだけで。グラウンドにトンボ、当てんかいな」と、田名部さんはさすがに注意したという。
そんなすったもんだがあったから、日本ハム入団後の翌年2月の騒動には「まだ、やってるのか」とため息しか出なかった。
手を焼かされた球児が、見違えるようになって日本に帰ってきた。昨年2月、ワールド・ベースボール・クラシックに参加する侍ジャパンの国内合宿で宮崎入りしたダルビッシュの姿に田名部さんは目を見張った。当然、日本ハム時代もメジャー移籍後も映像を見てはいたが「顔の表情が全く違う。つっぱってるときとは。これだけ変わるかと」。プロ入り後、才能任せではなく、自分の力の生かし方を学び、日々の肉付けでより豊かなものにした。「(いろんなことに)気がついたというか、努力したんやろな」。高校ジャパンのグラウンド整備時は棒立ちしていた選手が、シーズン前の大事な調整期間に侍ジャパンがよりよい組織になるように心を砕いていた。18年の変化を、田名部さんは見た。
田名部さんの退任時、胡蝶蘭がダルビッシュと父ファルサさんから届いた。WBC制覇時には、田名部さんが祝福とねぎらいの手紙をダルビッシュに書き送った。高校野球という縁でつながり、怒ったり諭したりしてきた元事務局長と球児は、そんな間柄になっていた。【堀まどか】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)








