日本文理(新潟)が3年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めた。中越に6-4で競り勝った。3-4の8回裏1死三塁から1番飯田涼太中堅手(3年=茨城・都和中)の左犠飛で追いつくと、2死一塁で3番川村啓真右翼手(3年=富山・桜井中)が左翼へ勝ち越し2ラン。エース稲垣豪人投手(3年=同)は先発、8回表途中からの再登板と合計7回2/3を2失点と粘り強い投球を見せた。日本文理の14年夏の甲子園ベスト4に刺激されて入学した県外出身のメンバーが、今夏限りで勇退する大井道夫監督(75)の花道を飾るため、主力となって甲子園に乗り込む。

 鋭い当たりのライナーが、寺杣(てらそま)直泰二塁手(3年)のグラブに収まった。それを見届けると同時に、マウンド上の稲垣は両腕を高々と突き上げる。「無意識に体が動いた」。喜びをいっぱいに示したガッツポーズのもとに、日本文理ナインが次々と駆け寄る。3年ぶりの王座奪回。現メンバーにとっては春夏通じて初の甲子園。試合終了と同時に自然と歓喜の山が出来上がった。

 主砲・川村のバットが勝利を決定づけた。8回表に1点リードされ、迎えたその裏だ。飯田の犠飛で同点にした後の2死一塁、左打席に入ると中越・山田叶夢投手(2年)の外寄りの直球を左翼席に運ぶ。「逆らわずに打ち返した。でも、入るとは思わなかった」。自身の高校通算39号は、手応えとは違う一打だった。

 今大会はチーム最多の6四死球。北信越屈指のスラッガーに対し、対戦校の投手陣は最新の注意を払う。その中でもじれずにフォア・ザ・チームを貫いた。「大きいのを狙うのではなく、しっかり打ち返す」。この日は3打数1安打2打点。2ラン以外の凡打も投ゴロ、左飛と中堅から左を意識した打球だ。その延長線上に土壇場での最高の結果が待っていた。

 主砲の1発を意気に感じたのが稲垣だった。「大事なところできっちり決める。あいつらしい」。桜井中時代は稲垣がエース、川村が捕手で全国大会に出場したコンビ。親友の援護を9回のマウンドでしっかりと守った。

 先発して6回まで7安打2失点。7回から2番手の鈴木裕太投手(2年)にマウンドを譲って一塁の守備に就いたが、鈴木が8回表に乱れ、1死一、二塁で再登板。だが、悪投、内野安打などで2点を失った(記録は鈴木の失点)。そんなショックから、川村が救ってくれた。

 14年夏、日本文理は飯塚悟史投手(現DeNA)を擁して準決勝進出。それを見て、2人は同校進学を決意した。仲の良さは中学時代のまま。稲垣は「川村とはいつも自分の投球について話している」と言った。当初23日に予定されていた決勝が雨のため3日間延びた。その間、2人で話し合った。「決勝では先頭打者は出すなよ」。川村のアドバイスを胸に、稲垣は回の先頭を出したのは2度に抑えた。

 川村は「稲垣との信頼関係が深まった」と笑顔をみせる。ともに入学当初から投打の主軸と期待されてきた。最後のチャンスで手にした甲子園切符。「新潟に来て良かった、と、本当に思えるのはこれから。全国制覇をしてからです」と稲垣。新潟で始まった富山出身の2人の挑戦物語は深紅の大優勝旗を持ち帰ることで完結する。【斎藤慎一郎】