99回目の夏は、花咲徳栄(埼玉)が埼玉県勢初の日本一に輝いた。プロ注目の3番西川愛也外野手(3年)が先制打を含む3安打4打点と活躍するなど、全試合2桁安打となる16安打の猛攻で、14-4で広陵(広島)を破った。

 攻撃の時も守備の時も、小柄な体でベンチ中央で腕を組み、仁王立ち。岩井隆監督(47)は甲子園最多勝利を誇る智弁和歌山・高嶋仁監督(71)と同じスタイルを貫き、埼玉県勢初の頂点に立った。「日本一は富士山と一緒。1球1球、一瞬一瞬、1勝1勝の積み重ね。勇気がないと登れない」とかみしめた。

 埼玉・川口市出身。地元の公立高校進学を目指したが身長が低いからと断られ、野球をやめかけた時に恩師の稲垣人司氏(享年68)に出会った。「誰がホームインしても1点は1点。180センチ以上なら2点なのか」。一生ついて行くと決めた言葉に背中を押され、学校の場所も知らなかった桐光学園(神奈川)への進学を即決した。

 理論派の稲垣氏が花咲徳栄の監督に就任すると、9年間コーチとして仕えた。野球のすべてを学び、「オヤジ」と呼んだ恩師は00年10月の練習試合中に突然倒れ、心筋梗塞で亡くなった。最期の言葉は「ピッチャーに逃げたらいかんと言って、パタンと逝った」。

 直後に監督に就任し、5度目の挑戦で初の日本一に立った。167センチの千丸主将らスタメンに160センチ台の選手を3人起用し、広陵・中村に真っ向勝負を挑んだ。「オヤジがどこかで見て、守ってくれたんだと思います。逃げない野球、攻める野球を最後まで貫けた」。そう言って目を真っ赤に潤ませた。【前田祐輔】