青森では「下北から甲子園」を目指す大湊が奮戦したが、青森商にコールドで敗れ、3年ぶりのベスト4進出はならなかった。5回に2点を返す意地を見せたが、力尽きた。

大湊は05年に49歳で病死した富岡哲元監督が、強豪に育て上げた。89年(平元)秋に春秋を通じて県大会初優勝。その時のエースが飛内尚人監督(47)、捕手が工藤公治前監督(47=現青森北監督)だった。工藤前監督時代は夏の決勝に2度進出。09年は青森山田に、16年は八戸学院光星に敗れたが、私立の強豪に思い切りぶつかった。

一昨年春、工藤前監督からバトンを受け継ぎ、飛内監督が就任。今のチームには飛内監督の息子の陽人(はると)投手(3年)、工藤前監督の息子の有晟(ゆうせい)一塁手(3年)がいて、父が果たせなかった甲子園を目指してきた。

背番号12の工藤は5回の守備から出場。同10の飛内投手は最終回となった6回に登板した。大湊野球部の歴史を作った父を持つ2人が、注目されながら練習に励んできた。飛内監督は「息子は自分以上につらかったと思う。工藤も悔しい思いをしたはず」という。

工藤は「仲間とここまでやれて、よかった」と泣きながら笑顔をみせた。飛内監督は「泥くさく攻め、1個のアウトを取る。今回のベスト8から上に上がる野球をしっかり、1、2年生に伝えたい」ときっぱり。「下北魂」の灯は消さない。【北村宏平】