センバツ初戦敗退時と同じように、春日部共栄・村田賢一投手(3年)に涙はなかった。「全国で勝っていくようなチーム、打線にはまだまだ通用しない」。切れ長の目には、悔しさだけをにじませた。

投げて、石崎聖太郎捕手(3年)から返球されて、5秒以内にはもう投げている。石崎と話し合い、このリズムを刻んできた。特技は六面立体パズル、いわゆるルービックキューブ。器用な手先を生かし、絶妙なコースに投げ分ける。投球も会話も、独特な感性の持ち主。はまれば手がつけられない。一方で「ストライクゾーンに集まりすぎる」(他校関係者)という一面もあった。

高校野球を終えても冷静に理路整然と話す村田にも、もちろん涙したことはある。昨年末、本多利治監督(61)の故郷・高知合宿でのことだ。黒潮町の球場近くの砂浜で、太平洋に向かって校歌を歌い、横一列でバットを振った。四万十川までの往復26キロ走を二度。走って帰る宿舎は小高い丘の頂上。帰路さえもトレーニングだった。

最終日が何よりハードだった。1週間の総仕上げは70メートルダッシュを80本。「30本目とか、本当にきつかったですね」と村田は顔をしかめながら回想する。終わりが近づくと、皆が感極まった。村田は最後の1本を石崎たちと手をつないでゴールした。感動したわけでもないのに、自然と涙が出てきたという。

走り抜いた自負はあるから、スタミナへの不安は一切ない。前出の他校関係者は「この10年の埼玉で、こんなタフな投手はいない」とたたえる。この夏も結局、6試合50イニングで740球。高校野球の球数が何かと注視されるご時世だが「まだ全然投げられます」と涼しい顔だ。本多監督も球数は気にしている部分ではある。だが「今日の村田はたとえ止めても止まらない。春の悔しさがある。このためにやってきた」と、エースを頼もしく送り出した。

涙はなく、言葉から判断するなら高校野球への未練も少なそうだ。「もっと高いレベルを目指すには、もっともっと厳しい練習をしないと。まだ終わりじゃないですから。まだ先は長いと思います」。すぐに気持ちを切り替えられるのも心のタフさも持つ。いつの日か大物になりそうな予感を漂わせながら、村田は「春日部共栄のエース」から卒業した。【金子真仁】