日本ハム、横浜などで活躍した元プロ野球選手の島田直也監督(51)率いる常総学院(茨城)が、センバツ史上初のタイブレークを制した。甲子園初采配の指揮官が、強気の攻めで優勝経験のある強豪を破った。昨年11月、同校元監督で島田監督の恩師でもある木内幸男氏(享年89)が死去。チーム5年ぶりのセンバツでつかんだ勝利は、恩師にささげる1勝にもなった。
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タイブレークの延長13回無死一、二塁、島田監督は打席に向かう秋本に耳打ちした。「1球目はバントの構えをして、相手の出方を見てから、打つぞ」。秋本はバントの構えで1球目を見送り、一塁の猛チャージを確認し、バスターに切り替えた。3球目。打球は一、二塁間へ。右前適時打。勝ち越しに成功だ。「タイブレークの練習なんてしてなかったのに。選手たちは期待以上の結果を出してくれました」。土壇場でプロで磨いた勝負勘がさえた。
県内で毎年のように優勝候補と言われながら、「後半に弱い」と甲子園出場を逃してきた。昨年7月に指導を任されると、チームプレーを徹底させた。田辺主将はいう。「俺が、俺がのチームだった。でも、チーム1つになれば勝てることがわかった」。4点を追いつかれる厳しい展開。タイブレークの死闘を全員野球で勝利した。
島田監督は、ベンチに持ち込んだバッグに木内元監督の写真をしのばせ、試合に臨んだ。「今日はミスが多いので、そこは怒られると思うんですが、チームで勝ったので『よく頑張ったな』と言ってもらえると思います」と笑った。「みんなでミスをカバーした。このチームはもっと成長しますよ」。亡き恩師に誓った名門復活。選手たちとともに強くなる。【保坂淑子】
常総学院・秋本(延長13回に勝ち越し打)「一塁の後ろに落とせたらと思ったら抜けてくれた。二塁に捕られると思ったけど気持ちで抜けた。素直にうれしかった」
◆島田直也(しまだ・なおや)1970年(昭45)3月17日、千葉県生まれ。常総学院ではエースとして87年春夏の甲子園に出場し、夏は準優勝。同年ドラフト外で日本ハム入団。03年まで横浜-ヤクルト-近鉄と計4球団でプレーし、通算419試合39勝38敗9セーブ、防御率3・69。横浜時代の97年に最優秀中継ぎ投手。07~14年に独立リーグの信濃でコーチ、徳島でコーチ、監督を務め、15~17年はDeNA2軍コーチ。20年3月に母校常総学院のコーチに就任し、7月から監督。右投げ右打ち。
◆島田監督の甲子園VTR 87年春、常総学院が甲子園に初出場した時のエース。チームは東海大浦安の出場辞退により補欠校から選出され、木内幸男監督は取手二で全国制覇した84年夏以来の甲子園出場となった。春は明石に0-4で初戦敗退も、同年夏は準優勝。決勝でPL学園に敗れたが、島田は2試合連続完封を含む登板6試合オール完投で5勝を挙げた。
◆タイブレーク 甲子園では18年春から導入され、延長12回を終え同点の場合、13回から無死一、二塁(打順は12回終了後から継続)で行う。過去は18年夏の佐久長聖5-4旭川大高(14回)、済美13-11星稜(13回サヨナラ)、19年夏の星稜4-1智弁和歌山(14回サヨナラ)の夏3試合で実施。今大会から決勝でも導入される。

