享栄(愛知)が異例の改革で名門校復活に挑んでいる。アマチュア球界の名将や知将に学ぶ連載「監督力~新時代を生きるヒント」の第3回は、今年1月から「丸刈り撤廃」を決めた大藤敏行監督(59)をリポートする。昔ながらの根性野球から脱却し「選手目線」の指導を心掛けている。09年、ライバルの中京大中京の指揮官として、夏の甲子園優勝に導いた男の「本気」に迫った。【取材・構成=酒井俊作】

 

帽子を取った享栄ナインを見て思わず目を疑った。アレ…。丸刈りじゃない。襟足をキレイに整え、爽やかな短髪なのだ。大藤監督は「見た感じ、いいでしょう。身だしなみにも気を使います」と笑う。違和感がある。09年夏の甲子園で中京大中京を率いて優勝したとき、エースで4番の堂林翔太(現広島)が丸刈りでインタビューに答える姿が脳裏にちらつくのだ。

このギャップにこそ指揮官の柔軟な考え方がある。「もともと、髪にこだわりはなかった。野球をするのに髪は関係ない。伸ばしたいなら伸ばしてもいい」。春11回、夏8回甲子園出場の強豪校は伝統的に丸刈りで、18年に大藤監督が就任した後も暗黙のルールだった。

転機があった。昨年12月にチームの流れを変えるために強化練習を行った。1日3000スイングで10日間の猛特訓。仕上げは30メートルダッシュ100本でナインを試した。「全員が最後までやりきった。元気よく。やんちゃだと思っていたけど、1つになったときのエネルギーはすごい。つい、口走っちゃったんです」。ナインに言い渡した。

「年明けたら、髪の毛を伸ばしてもいい」

髪形がまちまちだから自由な雰囲気に映るが、練習は厳しい。「日本一にしてやりたい」。時にはナインを叱る大声が響く。指揮官は仏になり、鬼にもなる。

「大切なのは目線が一緒になること。仲間なので。監督も生徒も同志というかね。僕が失敗すれば生徒が助けてくれます」

高校野球の監督になった90年当初はスパルタ指導だった。「選手とは向こうも敵、こっちも敵だと思っていた」。甲子園は遠い。あるとき、気づかされた。96年に関西(岡山)に遠征し、見たことがない光景に出合えた。「角田(篤敏)監督はものすごく厳しい監督でしたが、昼飯のとき、生徒と一緒に食べていたんです」。グラウンドで見せない顔だった。笑って冗談を言い、話し掛けていた。

「母ちゃん、元気か?」

「お姉ちゃんに子ども、生まれたんだってな」

ナインに寄り添う姿を見た。「こういうとき、俺、野球の話はしねえんだよな」。角田監督から聞いた言葉だ。人が人を導く本質があった。34歳の大藤監督は変わることを恐れなかった。「次の日から監督を辞めるその日まで、ずっと一緒に昼飯を食べました」。高校生に歩み寄った。翌97年、初めて甲子園に導いた。

10年に中京大中京監督を退任し、ときをへて、3年前、享栄監督に転身した。いまも「選手目線」で接している。短髪を認めただけではない。十分な睡眠を取るため朝練習を廃止。故障を防ぐため、今年からトレーナーも入れた。95年を最後に夏の甲子園から遠ざかるが、24日の春季東海大会で準優勝した。「長く閉じた扉は力が倍くらいないと開かない。でも、09年のときより、いまの方が戦力も上だと思います」。名門復活に向けて手応えはある。

 

○…高校球児の髪形はいまも丸刈りが主流だ。3月センバツは出場32校のうち、31校が丸刈り。市和歌山の半田真一監督(41)は「古くからの慣習ですが泥まみれで必死にやる姿も高校野球です。高校生には社会で役に立つ人間になってほしい思いもあります」と話した。丸刈り派の、ある監督は「髪形で目立ちたい、となると指導することも増えてしまう」と明かす。唯一、短髪でプレーした県岐阜商の鍛治舎巧監督(70)は「ウチは短すぎるのを禁止しています。髪形で決意を表すなんて安易なことはやってほしくない。言動はプレーで表せばいい」と説明した。長く丸刈りが高校野球のトレードマークだった。髪形がこれからどう変わっていくか、注目だ。

 

◆大藤敏行(おおふじ・としゆき)1962年(昭37)4月13日、愛知・常滑市生まれ。中京(現中京大中京)では79年夏の甲子園に出場して16強。中京大から静清工(静岡)で5年半コーチを務め、90年から母校の監督に就任。甲子園では97年春に準優勝し、04年夏は8強。09年は春8強で夏に43年ぶりの優勝。10年夏限りで退任。17年のU18W杯で日本代表ヘッドコーチ。18年4月から享栄の教員になり、8月から監督。