それぞれの思いとともに甲子園へ-。第103回全国高校野球選手権東西東京大会(7月4日開幕)の組み合わせ抽選会が19日、都内で行われた。東東京の第1シード関東第一は石見陸捕手が扇の要。昨秋、50歳で亡くなった父への思いも胸に、最後の夏に挑む。

西東京第3シードの国学院久我山は、国指定の難病を患っている飛沢翔咲(とびさわ・しょうさく)マネジャーを甲子園に連れて行くことがチームの目標だ。長野、愛知、和歌山、鹿児島でも抽選が行われ、今春センバツを沸かせた中京大中京(愛知)・畔柳亨丞(くろやなぎ・きょうすけ)投手、市和歌山・小園健太投手(学年はすべて3年)が、再び聖地を目指す。

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石見は「関東一高で甲子園に出て、優勝する。小さい頃からの夢です」と決意を口にした。第1シードのため、15日の3回戦から登場する。6回勝てば優勝だ。夢を応援してくれた父も、きっと見守ってくれている。「厳しい体になっても、会社に行き責任を全うしていた。格好いいな、そういう男になりたいなと思いました」。

友彦さんに胃がんが見つかったのは約2年前。既に手術できる大きさではなかった。ただ、父は高校生の息子にだけは事実を伝えるのを望まなかった。「練習や試合に集中させたい父の思いでした」。1カ月に1度ほどの帰宅日。体格のよかった父がやせていた。「コレステロールが引っかかった。ダイエットだ」と明るく言われ、信じた。

しかし、帰るたびにやせ細っていく。年が明け、春が過ぎ、さすがに嫌な予感がした。もう1度、父と話した。「治療法が見つからない。緩和ケアに入りたい」と打ち明けられた。生きて欲しい。他の治療法は-。純な思いを伝えたが、最後は意志を尊重した。

チームの配慮で頻繁に見舞いつつ、あの日も練習試合に出た。それが父の願いだったから。昨年10月4日。第1打席で先制打。第2打席も安打。保護者から病院の母に届き、父にも活躍が伝わった。「2粒の涙を流して逝ったそうです」。母から遺言を聞いた。

「甲子園、俺も一緒に行きたかった。亡くなっても、必ず空から見てるから」

中学生の頃、練習の送り迎えをしてくれた。車中で2人だけ。いっぱい話した。「会社で部下を動かす言葉を教わったり。野球に役立つと思ってくれたのかな」。夢を果たし見上げる先、父がいる。【古川真弥】

◆石見陸(いわみ・りく)2003年(平15)8月5日生まれ。東京・江戸川区出身。東小松川小1年の時、船堀ダックスクラブで野球を始める。小6時、ジャイアンツジュニアでプレー。松江第一中時代は江戸川中央シニア。50メートル走6秒5。遠投100メートル。目標の選手は、関東第一OBの中日石橋康太。180センチ、84キロ。右投げ右打ち。