鳥取大会で、学校関係者の新型コロナウイルス感染による出場辞退から急転出場が決まった米子松蔭が、境との2回戦で逆転サヨナラ勝ちした。西村虎之助主将(3年)の試合出場を熱望するツイートに端を発した異例の試合は、劇的な幕切れとなった。

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日本全国の注目を集めた異例の試合は、劇的な形で終止符が打たれた。

米子松蔭が2点を追った9回。無死一、三塁から山崎泰輝投手(3年)の適時二塁打で1点差に迫ると、2死満塁から4番小野陽一朗外野手(3年)が放った打球は三遊間を抜け、左前へ。2人の走者が本塁へ生還。春の県王者の底力を見せ、境との激闘を制した。

試合後の会見で、塩塚尚人監督は「まずは日本中の方々が応援してくださって、試合をさせていただけことと、境高校のみなさんが(再試合を)受け入れてくださって試合ができたことに深く感謝いたします」と頭を下げ「全員が最後の最後まで諦めなかった結果が勝利につながった」とナインをたたえた。

17日未明に、同校関係者の新型コロナ感染が発覚。その影響で大会の出場辞退を強いられ、同日に予定されていた2回戦は境が不戦勝となった。その後18日昼に西村主将が出場への思いを訴えたツイートが瞬く間に全国へ拡散され、各界著名人が反応。県高野連が異例の対応で、米子松蔭の不戦敗は取り消された。

西村主将は「どうにもならないことだと思った」と、不戦敗が決まった当時を振り返った。同時に「(世間が)ザワザワしていたのを感じて、ツイートしたらどうにかなるんじゃないかと思った。(SNSでの発信は)怖さはありましたけど、諦めきれなかった」。自らの意思で声を発し、世論を動かした。休校措置で自宅待機していた18、19日は壁当てやランニングなどで体を動かし、試合への準備を整えていたという。

今後について、主将は「境高校の思いを胸に、絶対に甲子園に行って、日本全国の応援してくださった方々のためにも、甲子園に出場して日本一を取ることで、恩返ししたい」と強い覚悟を示した。【古財稜明】

 

▽境・足立泰則監督「第1シードを相手にしっかり戦っている選手の姿を見て、このチームで野球ができていることが一番幸せだなと実感しながら、9イニングを見ていた。ただ、勝たせてあげたかった。そこは指導者の力不足だったなと実感しています」

 

▽米子松蔭・小野(9回、サヨナラにつながる適時打に)「勝つことができてうれしいです。協力してくださった方々に、結果で恩返ししたいと思って打席に入りました」

 

◆西村虎之助(にしむら・こうのすけ)2003年(平15)9月5日、大阪・河内長野市出身。三日市小3年時に「河内長野青葉」で野球を始める。東中では「堺ビッグボーイズ」でプレー。米子松蔭では2年夏からベンチ入り。3年春に外野手のレギュラーとなり、投手も務める。175センチ、75キロ。右投げ左打ち。