王座奪還! 日大山形が山形中央に6-4の逆転勝ちを収め、2年ぶり19度目の優勝を果たした。エース右腕・菅井颯投手(3年)が117球、9安打4失点の粘投で完投勝利。初戦から33イニング、455球を投げ抜き、チームを頂点まで導いた。

    ◇    ◇    ◇

自信満々の投球で、試合を決めた。「最後は自信のある球を投げて勝とうと思った」。最後の打者に対し、1、2球目は今大会で調子を上げてきたスライダー。2球で2ストライクと追い込んで、最後は直球。思い切り腕を振り、相手のバットに空を切らせた。優勝を決め、駆け寄るナインを全身で受け止めた菅井は、「頭が真っ白で覚えていないです(笑い)」。感情のままに両手を大きく広げて、歓喜の中心に立った。

最後の最後までバックを信じ切った。2回に先制を許し焦りがあったが、「野手陣のほうが落ち着いていて、守ってくれたりつないで打ってくれた」。1-3で迎えた7回には打線が奮起し、5得点のビッグイニング。6-4で迎えた9回1死では、特大飛球を清野隆之輔外野手(2年)がフェンスに激突しながらのスーパーキャッチを見せるなど、バックに支えられ続けた。菅井は「本当に野手に感謝したいです」と目を細めた。

あの夏、夢見たマウンドに立つ日がやってくる。21年夏、当時1年生の菅井は、16強まで勝ち進んだ日大山形ナインをスタンドで応援していた。「3年生を見て、自分もあのマウンドに立ちたいなと思った」。冬には、“令和の怪物”ロッテ佐々木朗希投手(21)に倣った足を高く上げるダイナミックなフォームを習得。聖地に立つため、研さんを積んできた。菅井は「自分が投げて勝ちたい」と同校最高成績の4強超えを見据えた。“山形の怪物”として、聖地にその名をとどろかす。【濱本神威】

 

◆日大山形 1958年(昭33)に「山形学園山形第一高等学校」として創立。野球部も同年創部。1962年(昭37)に現校名に改称。甲子園は春4回、夏19回の出場で、最高成績は13年夏の4強。主な卒業生は阪神中野拓夢、ヤクルト奥村展征。所在地は山形県山形市鳥居ケ丘4の55。中園健二校長。

【高校野球 各地のスコア・日程】はこちら>>