高校野球の広島商で選手、監督として全国制覇を果たした竹原(広島)の迫田穆成(さこだ・よしあき)監督が1日、病気のため死去した。84歳だった。

今秋まで指揮を執っていたが、同校関係者によると10月から体調を崩し、現在はグラウンドに出ていなかった。

迫田氏は57年夏、広島商の主将として甲子園優勝。主に三塁コーチとして活躍した。67年から母校の監督になり、達川光男らを擁した73年センバツで、江川卓がいた作新学院(栃木)を下して準優勝。同年夏の甲子園で頂点に導いた。

その後、如水館(広島)の監督として8度の甲子園に出場。19年から公立の竹原に移っていた。長年、広島県の高校野球をけん引した存在で、弟守昭氏(78)も広島商や広島新庄の監督を務めた。