福島第1原発から約3・5キロの双葉は、立ち入り禁止の警戒区域内にある。福島大会に参加する87校の中で最も原発に近い。震災の影響で3年生3人、2年生11人が転校を余儀なくされた。入部予定だった1年生を含めると、転校した部員は20人と県内最多だった。

 残ったのは3年生10人、2年生3人、1年生2人の計15人。半数以下に減った上、避難先も散り散り。磐城(いわき市)あさか開成(郡山市)と福島南(福島市)に分かれ、全員が顔を合わせるのは週末だけになった。練習再開した4月29日、田中巨人(なおと)監督(38)は険しい表情で首を振った。「開幕まで10回も集まれないんですよ」。

 残った部員は懸命に現実を受け入れた。岩田智久主将(3年)は言う。「来年がある後輩を、強く引き留められなかった。悔しいけど、僕ら3年は最後なので『できるだけ集まろう』とメールし合った。双葉の伝統を守るために」。今秋以降は人数不足に陥り、大会に出場できなくなる可能性が高い。だが、西山樹三塁手(2年)は明るい。「同期から一緒に転校しようと誘われたけど、あこがれの双葉でしか甲子園を目指せない」。過去3度、聖地に立った伝統校で野球を続けることが、心の支えになった。

 新天地を求めた元部員は複雑な心境だった。湯本(いわき市)には8人の2年生が転校。そのうちの1人、金谷将志は「双葉の伝統は今でも誇り。でも、来年、確実に野球を続けるためには転校しかなくて…」。福島西に籍を移した武内謙(2年)も、泣きながら本音を吐き出した。「3年生から『行っちゃうのか』と言われたけど…。勝ち進めば試合で再会できますが、嫌なんです。敵として会うなんて」。金谷は浪江町、武内は大熊町に自宅があり、立ち入れない。選択肢はなかった。

 田中監督は、つらい実情も漏らす。「震災の混乱で不可能だったのかもしれないけど、転校した子たちには、後ろめたさもあるんでしょう。いまだに連絡がないままの部員もいます」。原発事故は、部員の絆も引き裂いてしまったのかもしれない。それでも「みんな生き生きした表情で野球に取り組んでいる。この前例のない雰囲気を何とか力に変えるしかない」。いばらの道に、確かな足跡を残そうとしている。【木下淳】