岩手大会(7月14日開幕)の組み合わせ抽選会が今日30日、行われる。震災の爪痕が残る沿岸部から参加する大船渡は、四半世紀以上前の甲子園から始まった交流を通じて力を得て、「旋風」の再現に挑む。

 部員49人中10人が自宅を津波で失った。親を亡くした部員が2人、転校を余儀なくされた部員が2人いる。失意のナインを用具支援や招待試合で励まし、吉田亨監督(44)が「物心両面で助けていただいた」と心から感謝する“高校野球仲間”がいる。南北海道の鵡川と兵庫の神港学園だ。

 その縁は、84年のセンバツにさかのぼる。初出場の大船渡は「大船渡旋風」と呼ばれた快進撃で4強入りした。当時監督の佐藤隆衛さん(70)と、北北海道の砂川北(現砂川)を率いた鵡川の佐藤茂富監督(70)、神港学園の北原光広監督(58)が出会った。時を経て、指導者の交流は教え子の友情を育んだ。

 「人ごとではない。一瞬でも震災を忘れる時間をつくってあげたい」。5月28日。阪神・淡路大震災を経験した神港学園の北原監督から招待を受けた。大船渡からバスに揺られること14時間。神戸の合宿所で飲食を共にした両校の部員は意気投合した。氏家規元(のりゆき)主将(3年)と神港学園・鳩川琢磨主将(3年)はメールアドレスも交換した。「野球を通して全国にも友達ができるんだ」。初めての不思議な感覚に、氏家の胸はうずいた。

 翌29日。打ち解けた両校の合同練習は笑顔が絶えなかった。ちょうど27年前、大船渡の主将だった吉田監督は目を細める。「被災した地元では、無意識のうちに感情を抑えていたんでしょう。震災後、なかなか見られなかった笑顔が子供たちに戻りましたから」。

 一行は三宮東遊園地も訪れた。阪神・淡路大震災の犠牲者の名が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」に献花した後、氏家は周囲の高層ビル群に目を奪われた。16年前は倒れていたものが、整然と立ち並んでいた。移動のバスで隣に座った鳩川から「岩手も復興するよ」と声をかけられ、うなずいた。「そうだよな。勇気づけられたよ」。

 神戸で得た復興のイメージは「大船渡旋風」再現を期待する地元と重なる。大会開幕前、氏家は鳩川にメールを送ろうと思っている。地域のため、友のため。すべての思いを込めて「必ず会おう。次は甲子園で」と。【木下淳】