岩手大会(14日開幕)の組み合わせ抽選会が6月30日、盛岡市内で行われた。東日本大震災で甚大な被害を受けた高田(陸前高田市)の初戦は、16日の2回戦第1試合(対盛岡工)に決定。部員の多くが自宅を流され、両親の命が奪われ、転校した仲間もいる。校舎は津波で壊滅、練習場も転々とする中、新ユニホームで逆境に立ち向かう。

 参加73校で最も多くのフラッシュを浴びながら、高田の大和田将人主将(3年)は、くじを引いた。初戦の相手は、県内屈指の左腕エース藤村隆成(3年)を擁する盛岡工。いきなり難敵を引き当てたが、大和田は笑顔で言い切った。「相手はどこでもいい。心配してくださった方々に、元気に野球できることを見せたい。その上で勝ちます」。

 3月11日を思い出すと、この日が奇跡に思えた。当日は市街を見渡せる高台のグラウンドで、どす黒い波に街がのみ込まれる姿を見た。津波の高さは、高田松原公園にある第1球場の、照明塔の3分の2にまで達し、周囲の約7万本の松は1本を残して消えた。雪が降る中、暖房器具を避難者に譲り、極寒の部室で夜を明かした。

 「生徒の安否確認に追われ、頭から野球は消え去っていた」。佐々木明志監督(47)は教え子を捜して遺体安置所を回った。学校全体の死者、行方不明者は24人。野球部員57人は、無事だったが約3分の1の自宅が流失。佐々木監督のアパートも跡形もなくなった。

 練習再開は、震災から6週間後の4月23日。内陸の水沢高を借りた。自校のグラウンドには仮設住宅が建てられ、現在は隣町の住田球場や大船渡東高を転々とする。片道40分以上の移動が練習時間を圧迫するが、国内外からの用具支援や招待試合に支えられてきた。

 ムードメーカーで「欠かせない存在」(佐々木監督)だった菅野明俊選手(3年)は、父親が死亡、母親が行方不明となり、親族を頼って栃木県小山市へ転校を強いられた。前夜、大和田主将は菅野にメールを送った。「ついに抽選会の日が来たよ」。「お前の運次第。期待してるぞ」。大和田は、震災後1度も会えていない親友の無念を背負う。「チームの雰囲気が暗ければ、まだ明俊に頼っているということ。自分がもっと盛り上げなければ」。

 大会には新調した“戦闘着”で挑む。佐々木監督が早大OBの縁で、早実の和泉実監督(49)らが義援金を集め、流失したユニホーム代を工面してくれた。当初は都内で製作予定だったが「やはり県内がいい」(佐々木監督)と地元業者に発注。25着が7日に届く。

 今まで部員各自に購入させていたが、佐々木監督は決断した。「この夏から、正選手にユニホームを貸し与えて引き継ぐ形にしていく。多くの支援に感謝し、陸前高田市民の力になれるように」。高田ナインが、逆境から新たな伝統を積み上げていく。【木下淳】