<高校野球広島大会:如水館5-2新庄>◇27日◇決勝

 如水館が2年ぶり7度目の甲子園出場だ。県北勢初の夢に燃える新庄を退けた。2年前は甲子園大会史上初の同一カード2試合連続ノーゲームからの3日連続の顔合わせで、高知に初戦敗退した。当時メンバーだった浜田大貴投手(3年)は不動のエースに、金尾元樹内野手(3年)はこの日も4安打3打点と成長した。甲子園を知る2人を軸に、名将・迫田穆成(よしあき)監督(72)率いる如水館ナインが聖地に乗り込む。

 雪辱に燃える2人が如水館を2年ぶりの聖地へと導いた。9回表2死。浜田は最後の打者を空振り三振に仕留めると、左手を数秒間、天に掲げ、ゆっくりと捕手に歩み寄った。派手な歓喜の輪はない。「借りを返したい-」。甲子園に存在を刻む間もなくマウンドを降りた悔しさが、浜田の原動力だった。

 09年夏。3日連続の顔合わせで高知に3-9で敗れた。それまでの2試合は2-0、6-5とリードも雨に泣いた。仕切り直しの3試合目。浜田は先輩投手陣が崩れる中、4番手登板すると、打者2人に連続安打され降板した。傷口を広げる内容に「アウトを取れずに悔しい思いしかない」。最速135キロの直球にスライダーだけでは無理もなかった。

 今は最速も142キロになり、カーブ、チェンジアップも覚えた。4回から2番手登板したこの日も、新庄打線に8安打されながら要所を締めて2失点。「ボロボロだった」あの日から、2年間で不動のエースに成長した姿をマツダスタジアムで披露した。

 金尾も同じだった。魔の3試合目に「7番一塁」で先発出場も1打席目に三振すると、継投策の影響でベンチから試合を眺めた。今や3番一塁で打線の要に君臨し、この日も4安打3打点と爆発。1点リードの8回1死満塁からの左前2点打に「浜田から『1、2点取ってほしい』と言われていた。浜田がしっかり抑えていたからね」と言う。

 兄弟対決を制した迫田監督は「野球は五感でやるもの。指示を出して、応えられるようになってきた」とチームの成長に目を細める。主将の樋口圭外野手(3年)は「全国制覇」を口にする。悔しさを糧に成長曲線を描く浜田、金尾の背中が、チームを強くした。今夏こそ、聖地に存在を見せつける。【佐藤貴洋】

 ◆如水館

 1940年(昭15)に三原工として創立の私立校。93年に現校名になり野球部も創部。部員数は82人。普通科(特進・進学専攻群・A類・B類)機械科。生徒数855人(うち女子378人)。甲子園は春1度、夏は7度目。主なOBはソフトバンク柳瀬明宏、中日田中大輔。所在地は広島・三原市深町1183。高橋秀幸校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦11-2広島市工3回戦12-2尾道北4回戦4-2尾道東準々決勝6-4広島工準決勝3-1山陽決勝5-2新庄