<高校野球広島大会:広陵2-1広島新庄>◇27日◇決勝◇尾道市びんご運動公園

 広陵がセンバツ出場の広島新庄との接戦を制し、4年ぶり21度目の優勝を飾った。昨秋の中国大会準々決勝で敗れ「打倒新庄」を合言葉にチームを強化。強い精神力で1点差を守り、目標を達成した。

 念ずれば、花開く。その瞬間、マウンドに、広陵ナインの輪が生まれた。4年ぶりの夏制覇だ。体をぶつけ合い、喜びを分かち合った。攻撃力が自慢のチームだが、この日は1点差を守り抜くタフな一面も見せた。勝利への高い意識が今年の広陵の持ち味。中井哲之監督(52)は「この子で負けたら責任を取れる、というメンバーを選択した。技量は負けていない。自信を持っていた」と選手の奮闘に目を細めた。

 あの日の悔しさが原点だった。昨年10月28日の中国大会準々決勝。広島新庄に2-9で7回コールド負けし、2年連続センバツ出場の夢を絶たれた。敗戦直後、ナインは次々と黒の油性ペンを握った。ユニホームの背中に屈辱のキーワード「2-9」を記した。部員全員が同じ行動をとった。さらに同校グラウンドのスコアボードも、同じ得点経過を再現。主将の太田光捕手(3年)は当時の心境を振り返った。「このままでは甲子園に行けない。どうやったら、変われるか。しんどい時にも悔しさを忘れないと思い、練習してきた。新庄に勝つまでユニホームに書き続けた」。その思いが初回の同点犠飛につながった。

 エースの吉川雄大(3年)は冬場の投球練習で、毎日打者を立たせた。ストライクゾーンの低めにゴムひもを張り、徹底して投げこんだ。「ここ一番で腕が振れず、メンタルも弱かった。低めに投げたら、ゴロを打ってくれる」。この日は7安打許したが、要所で低めをていねいに突いた。2併殺は努力の証しだった。1点差でも守りに入らず、思い切って腕を振っていた。

 夏の大会は過去3年で1度も準決勝に進めず、苦戦が続いていた。その状況を打破したのは、ナインの雪辱の思いだった。「10・28」から272日。強い広陵が甲子園への帰還を決めた。【田口真一郎】

 ◆広陵

 1896年(明29)創立の私立校。普通科のみで生徒数は1337人(女子440人)。野球部創部は1911年で、部員は143人。甲子園は春23度、夏は今回で21度目。夏は準優勝3回、春は優勝3回、準優勝3回。主なOBは元阪神金本知憲氏、広島野村祐輔ら。所在地は広島市安佐南区沼田町伴4754。中土基校長。◆Vへの足跡◆2回戦9-0海田3回戦9-2府中東4回戦7-0沼田準々決勝10-2高陽東準決勝5-4呉決勝2-1広島新庄