02年に西武のハワイ優勝旅行を取材した。亡くなった森慎二さんがセットアッパーとして自己最多の71試合に登板した年だった。

 大活躍を祝うように、ビーチに近いバーで乾杯した。のんびりした時間によく似合う、人なつっこい笑顔でシンジは夢を語った。「メジャーでやりたいなあ」。まだ、同僚の松井稼頭央も松坂大輔も海を渡る前だった。帰国後、彼と親しい今井貴久記者が追跡取材して、球団にポスティング制による米移籍を希望したことをスクープ。3年後、希望はかなえられるが、マイナーリーグで3球投げただけで、右肩が鈍い音を立てた。

 189センチの長身で、足を高々と上げるフォームはしなやかでいて力強かった。150キロ超の直球も落差の大きいフォークボールもずばぬけていた。柔軟性も含めた身体能力の高さは、松坂やエース西口文也を上回っていた。

 一方でいつも危うさがつきまとった。快投したかと思うと、制球を乱した。バント処理の二塁悪送球があまりに速すぎ、外野フェンスに達して、打者走者まで生還させて負けた日もあった。KO翌日、自慢のロン毛を東尾監督にハサミで切り落とされたこともあった。

 笑い話として振り返られるのは、彼自身、笑顔で切り替えると、すぐに快投で取り返したからだった。肩の故障で2度とマウンドに戻れなかったが、独立リーグ経由で指導者として西武に帰ってきたのも、彼らしいなと思っていた。

 ただし、たのもしくも、どこか危ういセットアッパーは、もう帰ってこない。2年前に今井記者も急死した。せめて、シンジが指導者として持っていた夢を、取材して欲しいと思っている。【元西武担当=久我悟】