日本製紙石巻(宮城)が「3・11」の思いを背負い、社会人野球18年開幕戦白星をつかみ取った。福島・浪江町出身の佐山航平内野手(21)の決勝3点本塁打などで、JR東日本(東京)に5-4と競り勝った。チームは11年の同大会参加中に被災。当時選手として出場した前田直樹監督(39)の指揮のもと、復興途中の被災地を勇気づける大きな1勝を届けた。

 大きな弧を描いた白球に、復興への思いが伝わった。2-2の、6回2死一、二塁。右打席の佐山の打球は左翼線への大飛球。「良い角度だったけれど、最初はファウルかなと。風に助けられたのかなあ。いろいろなものが押してくれたのかもしれない。自分も中2の時に被災しましたし、大切な日と思って打席でフルスイングしました」。左翼ポールに当たった本塁打に、仲間も観客も笑顔や拍手があふれた。

 11年3月11日。チームは東京大会準決勝で敗れたあと、都内の宿舎に移動中だった。東北勢先陣をきって出場する今大会の開幕が「3・11」に決まってからは、「東北を代表して、被災地に勝利を届けよう」が合言葉だった。1、2打席目は力が入りすぎて凡退した佐山の背中はガチガチ。性格を見抜いている前田監督からは、言葉ではなくアイコンタクトと笑顔。「なんだか楽に思い切りいけました。この日に勝利できたことは、東北の方々にも自分たちにとっても良かった」と拳を握った。

 佐山は浪江中2年時、友人宅で揺れを感じた。自宅は原発から10キロ圏内。即座に避難勧告。父は老人ホームを経営し、母も福祉関係の仕事に就いていたため、年配者の避難を優先させた。家族が一緒に生活できたのは3カ月後だった。佐山も福島市や白河市の親戚宅を転々。現在はいわき市内に新居を建てたが、浪江町の自宅は、ほぼ当時のままだ。湯本高時代は無名。日本製紙石巻の野球教室で偶然にも素質を見込まれた“秘蔵っ子”が結果を出した。

 相手の二ゴロで勝利が決まったのは、午後2時46分。大震災発生と同じ時刻だった。地元の声援が選手の活力となり、勝利が支えてくれた方たちを元気づける。まずは14年の準優勝を超える大会制覇。佐山は「さらにさらに、都市対抗、日本選手権と勝利を追求したい」。日本一を最終目標に掲げた。【鎌田直秀】