日本球界で通算100勝を挙げ、60年代に阪神のエース投手として活躍したジーン・バッキー氏が14日(日本時間15日)、出血性脳卒中のため米ルイジアナ州の病院で亡くなった。82歳だった。

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今にして思えば、虫の知らせだったのだろうか。日本時間10日深夜。何となく声を聞きたくなり、バッキーさんとフェイスブックの動画通話機能で話した。画面の向こうで、彼はいつもの笑顔を見せた。表情に暗さはみじんもなく、声には張りと明るさがあった。だがそこは自宅ではなく、病院の一室だった。

「必ず元気になり、また日本へ行くよ」。話はJRFPAが21年に計画するOBドリームマッチに及んだ。「王さんとまた対戦しないとね。必ず空振りを取るから」と大笑いしたのが最後となった。その王貞治を巡って起きた、68年の大乱闘。引き金となった投球について聞いたことがある。「打者を狙って投げたことは生涯1度もない。近いところを見せた上で歩かせようと思ったんだ」。冗談好きなバッキーさんの口調が、この時だけは一変したのが忘れられない。

新婚早々ともに来日したドリス夫人も数年前に亡くなった。近年は背中に痛みを抱え、長時間の移動が困難になっていた。それでも「人生最高の時間は、日本での日々だった。また甲子園に行きたい。それが人生最大の、そして最後の願いだよ」と何度聞いたことか。願いをかなえたときの笑顔を、その都度思い描いてきた。伝説の助っ人が、死ぬまで恋い焦がれた甲子園。聖地で戦う後輩たちの活躍を、天国から見守ってくれるはずだ。【高野勲】