1984年ロサンゼルス五輪の公開競技だった野球で、日本代表を監督として金メダルに導いた松永怜一(まつなが・れいいち)氏が12日12日午前2時51分、老衰のため、横浜市内の病院で死去した。90歳。北九州市出身。後日、家族葬を行う。

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▽ヤクルト伊東昭光編成部長(ロス五輪代表)「今まで何人もの監督の下で野球をさせていただきましたが、一番練習や試合に対して完璧を求める厳しい監督でした。ロス五輪の時も国の代表という立場で責任感のある行動をとらされました。先ほども言ったように厳しい監督であまり笑顔は見ることはできませんでしたが、金メダルを獲得した時の笑顔は非常にうれしそうでした。オリンピックで起用していただいてプロ入りのきっかけをつくっていただきました。年に数回、お手紙をいただいておりましたが、ここ2、3年は手紙がなく、年に一度の食事会も開催されず、ここ数年お会いしていなかったので心配しておりました。残念でなりません。ご冥福をお祈りします」