指揮官と投手コーチのタッグで05年にリーグ優勝を飾った阪神岡田彰布監督(65)と日刊スポーツ評論家の中西清起氏(60)が沖縄・宜野座キャンプで初対談。高原寿夫編集委員が司会に駆けつけ、ぶっちゃけ連発の本音トークがさく裂しました。注目の開幕ローテは? ドラフト1位森下や佐藤輝への期待値は? 85年に5番と守護神で日本一をつかみ、首脳陣としても5年間苦楽を味わった2人の“以心伝心キャッチボール”をお楽しみください。
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-野手は2チームできそうな層の厚さを感じます
岡田監督 そこまではな。まだどっちが(レギュラー?)っていうのはあるよ、おーん。板山と高山は2人入れられへんよ、人数的に。右でも井上と森下は2人入れられへんやん、人数的にな。そら、しょうがないわな。これから見極めて、絞っていかなあかん。
-右翼候補が一番多い
岡田監督 みんなライトが一番チャンスやと思うからいっとる。そういうことやんか。練習試合とかで、みんなを打たして、見極めていかなあかん。
-18日のDeNA戦はサインなしだった
岡田監督 なしなし。おーん。盗塁だけ(サインを)出してるよ。走ってもええ選手だけ出してる。走れだけや。チームとしてうまいこと点を取らないかんのは、3月の半ばごろからでええんよ。今はみんな打席立ったらヒットを打つとかでいいわけやんか。今までやってきたことが、実戦で相手ピッチャーにどのくらい対応できるかとかな。そういうのを見るんやから、この時期なんかは。
-その面で森下はすごく対応している
岡田監督 みんな見とったら分かるやん。『いいですね』とか言う必要はないんよ。現実に打ってるから使うやんか。もうそれだけのことなんやから。
中西氏 対応の仕方が良いですよね。真っすぐ狙いで変化球を仕留めたり。
岡田監督 内容がええからな。
中西氏 18日のDeNA戦ではヒットも打ったけど、1打席目はバット折られた後でしっかり四球を選んだ。フォークを見極めて。
岡田監督 そういうのも見てるわけや。それでヒットが出たら余計いいことやんか。うまいこと見極めよったみたいなフォアボールとかな、おーん。
-前回監督の1年目に入ってきた同じ背番号1の鳥谷とダブる
岡田監督 そら、鳥谷のバッティングよりええわ。全然、雲泥の差や。そんなもん(笑い)。
中西氏ポジション的にも求めるモノが違います。
岡田監督 外野は打たなあかんポジション。そのために取ってるわけやんか。鳥谷は守備から。慣れてきてだんだん打てるようになっていった感じやんか。
-あの時「鳥谷はいずれはチームを背負っていく選手」だと言っていた
岡田監督 そらショートという、ずっと心配せんでもええポジションなわけやから。でも外野は、外国人でもまかなえるポジションやから。外野は打たなあかんやんか。そこの違いよ。
中西氏 右打者という魅力もあります。
岡田監督 左バッターばっかりやったから、新戦力(で取ったの)は外国人と森下やんか。4人くらい右バッターが並んだら、そらだいぶ違うよ。今まで大山と梅野の2人やで。そやろ。そら、DeNAでも左ピッチャー投げさすよ、そら。勝てる気がするもん。勝てる確率があるわけやから、やっぱり(先発は)左いくやんか。そういうことや。だから(チーム内で人数的にも多い)左打者はよっぽど打たんと生き残られへん。そういうことやろ。
(自ら続けて)
岡田監督 まあ、外野は6、7人(開幕ベンチに)入れる可能性はあるけどな。3つのポジションでな。でも、普通は6人やで。それで、2人くらいはちょっとスペシャルな選手を置いておかなあかんからな。
-3年目の佐藤輝は今季、どうか
岡田監督 いくしかないやんか。いくしかない。そんなの。もう評価してもしゃあないよ。いくんやから。そんなもん。
中西氏 あかんからといって、ライトに持っていくことはない。
-では、不調の場合は
岡田監督 あかんかったら、ほかのを使う。外すだけや。
中西氏 糸原もいます。
岡田監督 そういうことやんか。
中西氏 監督の性格からして、あかんからといって打順を下げる起用はない。
岡田監督 そこのポジション(の選手)を変える。そらそうよ。結局は打順なんか変えても一緒やん。よけい分かるやんか。ああ調子悪いから打順下げられよって。それやったら、逆に上げえと。打順も。なら向こうも考えるやんか。おっ、なんで上がったんやろって。相手にそんな教える必要ないやんか。そんな。
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◆阪神岡田監督と中西氏 中西氏が83年ドラフト1位で阪神に入団し、84年から岡田監督とともにプレーした。85年には中西氏は抑えとして、岡田監督は5番打者として球団初の日本一にチームを導いた。04年の第1次岡田政権誕生時に、当時評論家だった中西氏を1軍投手コーチとして入閣させた。ブルペンコーチとしてJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川、久保田)ら強力リリーフ陣を整備し05年のリーグ優勝に貢献。岡田監督が退任する08年まで支え続けた。ともに評論家として活動していた昨年までは、中西氏のYouTubeチャンネルに岡田監督が何度もゲストで登場していた。