日刊スポーツ名物編集委員・寺尾博和のインタビュー企画「寺尾が迫る」。
今回は阪神大学野球リーグの大体大監督を退任する中野和彦氏(64)が登場します。春秋通算26度のリーグ優勝を誇り、00年春から同リーグ最長記録の7季連続優勝、06年全日本野球選手権大会でも優勝。今後は新設され、大学球界では異例となるGM(ゼネラルマネジャー)職に就く名監督が、「雑草軍団」を率いた30年間の監督生活を振り返った。新監督にはコーチの松平一彦氏(46)が就任する。
◇ ◇ ◇
寺尾 23年秋季リーグ戦をもって監督を退任することを表明しました。就任30年目の節目。今後は大学球界では異例の「GM職」に就きます。
中野氏 一昨年、野田賢治理事長から定年後の身の振り方と後任について考えるよう指示を受けていました。今後も野球に携わりたい意向を伝えた上で、監督をコーチの松平に引き継ぎたいと申し出て了承されました。
寺尾 監督就任当時はどういう状況でしたか?
中野氏 最初はこんなにひどいのかと驚きました。例えば、ちょっときつく指導しただけで、僕の留守を狙って夜中、自宅に部員から嫌がらせの電話が入った。妻(政子夫人)に「お前んとこのダンナにちゃんと指導するよう言うとけ!」と怒鳴られた。今はありませんが、下の子供が生まれた時期だったので、苦労をかけた妻には感謝しているんです。
寺尾 時代とともに指導法も変わったのですか?
中野氏 新たにチームを作ったとき、試合に負けた後で「走って帰れ!」と言うと、選手から「走る意味がわかりません」という。我々が育った時代と違いますよ。
寺尾 でも走力の強化が勝つために必要なのは間違っていない。
中野氏 陸上部のトレーニング担当からも聞いたりして「蓄積した疲労物質の乳酸をとるために走るんやで」と諭すと「わかりました」と納得する。今は理論的に言わないと、罰則だからといっても走らない。僕自身もいろいろ勉強させてもらいました。
寺尾 関西で唯一の体育専門大学は「選手養成」でなく「指導者育成」に軸足があります。
中野氏 はい。教員になる子が多いですからね。選手に強制しませんが、学生コーチには毎日指導法についてのミーティングをしてきました。
寺尾 ただ、もともと恵まれた環境にない。グラウンドは中学、高校と共用。高校、大学の女子野球も使用するから「5チーム」が入り乱れる形です。
中野氏 朝から晩まで練習すれば強くなるとは限らない。うちは授業の他競技で体を動かしています。個人的な運動量は変わりません。
寺尾 出身の浪商は厳しいことで知られています。
中野氏 監督の広瀬吉治先生が怖いんじゃない。OBが怖かった。ムチャクチャでした(笑い)。3年夏は一塁手で、後で甲子園で準優勝するPL学園に5回戦で敗れた。桜美林が優勝した年です。
寺尾 大体大に進学したとき、雰囲気は激変しましたか?
中野氏 かなり自由でした。でもそれは体大の良さだと思ったので、指導者になっても、その自由さは維持したいと思いました。スパルタ教育からの転換? やりたいときに練習ができる環境は保ちたかったし、余った時間を自分たちで有効利用するのも大事だと思った。全体練習後は帰りたければ帰ればいい、居残り練習をしたいものは残っていいというスタイルです。
寺尾 自主性を重んじたわけですね。
中野氏 僕自身も自分が守備をやりたいのに、一日中バッティングをさせられた。でもまとまって練習をした後、「君たちに1時間与えるから自分で考えた練習をしなさい」とメリハリをつける方が伸びるのではと思ったんです。
寺尾 厳しさを押しつけない指導ですか。
中野氏 少し違う。みんな神宮(全日本大学野球選手権)に行きたいというので、「それならオレについてこい」と言いました。正月明けから練習することに反対もあったが「勝つためには練習しないとダメやろ」と言い聞かせた。厳しいだけではダメですが、厳しさも必要です。そして体育専門の大学らしい理論的な野球に変えなあかんとも思いましたね。
寺尾 最初は弱小だから、強豪の近大なども練習試合を組んでくれなかったとか。
中野氏 監督に就いてオープン戦をしたとき、近大からレギュラーが出場したのはキャプテンの1人だけでした。それでも負けたからね。近大から「ちょっと高校生使うから」と言われたのが、入部したばかりの宇高伸次(PL学園)と藤井彰人(近大付)のバッテリーで、それでも完封された。力の差を痛感し、練習に打ち込む必要性を肌で感じましたね。
寺尾 今は低迷期ですが力量差は縮まった。体大らしい練習とは?
中野氏 年明けの1月はボールを持たず、走ることに重点を置きました。どうしたら速く走れるか、マネジャーを陸上部に派遣してメニューを考えました。また横の動きを俊敏にするためアメフト部にならって練習するなど、うちは他のスポーツ部を活用できる強みがあります。
寺尾 まず体を作ってから実践に入る?
中野氏 ボールを持つのは2月からです。他の大学の捕手を見て、うちの足だったら走れると思った。四球で出塁したら走って、送る。それが基本。94年夏に就任してすぐの秋季リーグ戦は5位でしたが、95年に優勝して初めて神宮に出場するんです。機動力野球? 僕はそう思っています。相手チームもどの場面で走られるのかわからんから、守備もしっかりせなあかんから、怖さがある。
寺尾 今の選手との接し方は難しそうです。
中野氏 僕は手を上げることはない。ただ友達みたいな感覚でお互い好きなこと言い合う。あえてそうしてます。自分の子供みたいなもので、子供に叱るようにして叱る。コミュニケーションも積極的にとったつもりです。全体で伝わらないと、1対1のマンツーマンも多かったです。
寺尾 全日本選手権大会に出場したとき、神宮球場への移動はつり革付きのバスだったとか?
中野氏 初めて神宮に出場したとき「一番安いバスをお願いします」といって探してくれたのが、つり革付きの都市バスでした。先発メンバーは座って、他の選手はつり革を持って立ちました。その試合は勝ったので、普通の観光バスにしたら負けた。やっぱりつり革バスがエエんちゃうかとなったんです(笑い)。
寺尾 06年全日本大学選手権で日本一になるまでに進化。準決勝はソフトバンク入りする大隣を擁した近大を4対3で破った。
中野氏 学生が「どうしたら勝てますか? 作戦は?」と言うから「当たれ」といった(笑い)。「あんな速い球当たれません」とびびってるから、「お前ら信じるか、信じないかわからへんけど、おれは近大に本番で負けてないんや。だから大丈夫や」と言ったんです。
寺尾 決勝の青学戦も7対6の1点差勝ちでした。
中野氏 4番山本直登の前の3番ショート渡辺敬之がまったく打てずに「打順を変えてください」と言ってきた。でも「ここまで勝ててるのはお前の周りがうまくいってるからで、お前の打順を変えてチャンスをつぶされたら困るんや。だから3番はお前でエエんや」と固定した。まぁウソも言ったし、あの手この手です。マネジャーの佐々木邦明もよくやってくれました。
寺尾 弱小の雑草軍団から日本を代表する上原浩治投手のような逸材も輩出した。
中野氏 上原は監督になって初めてプロに行った子なので思い入れはあります。1浪して体大に来てくれた1回生のとき「一緒にプロに行きたいよね」と話したのも覚えています。
寺尾 日曜日の「サンデーモーニング」(TBS系列)で「あっぱれ!」と言っている人ですね。
中野氏 レフトとライトのポール間に、クローバーが生えていたんですが、毎日走るから生えてこなくなった。まさに伝説の“上原道”です。「今日は休め」と言っても、上原は「ここで走るのをサボったら僕はアカンようになると思います」と休まなかった。
寺尾 中日松葉貴大投手、ロッテ酒居知史投手らも現役で投げてるし、球団フロントにも教え子がいる。
中野氏 やっぱり練習しないと選手寿命は短いです。松葉も3時間走れというと、ずっと走っている投手でした。筋肉が固いから、ダッシュでなく有酸素運動でゆっくり走ればほぐれてきて、腕の振りが柔らかくなるから走ってみるかとアドバイスすると素直に受け入れました。
寺尾 巨人、日本ハム、MLBなどを渡り歩いた村田透投手も今度はオーストラリアで挑戦するとか。
中野氏 「もうええやろ」と言ったんですけどね(笑い)。「また頑張ってきます」いうから、野球が好きなんですね。
寺尾 プロを目指した勝利至上主義ではない?
中野氏 プロに行きたくても簡単ではないし、あくまでも社会で通用する人間を育てることが目標です。だから遅刻したら試合からは外します。でもきっちりやるようになったら、1つのエラーで萎縮したり、型破りが少なくなって、なんとなくこぢんまりしてきた。難しいですね。
寺尾 これから松平新監督が引き継ぎます。
中野氏 なかなか勝つことは難しい。でも勝てばええというもんでもない。勝ち方もある。もっと個々がレベル上げないと。人間形成を目指しながら、そこそこ強くなってほしいです。



