野球殿堂博物館は16日、今年の殿堂入りメンバーを発表した。
アマの競技者・指導者、プロアマの審判員、プロアマの組織発展に貢献した人、野球に関する著作物を有する人などが対象の「特別表彰」は、元セ・リーグ審判部長の富沢宏哉氏(93)が選ばれた。
富沢氏は当時の年少記録となる23歳でセ・リーグに入局。59年6月に行われた巨人対阪神(後楽園)の天覧試合では左翼の線審を務めた。80年から89年まではセ・リーグ審判部長を務め、計35年間、グラウンドに立った。歴代2位となる通算3775試合に出場。73年には「野球審判ガイドブック」を出版し、審判技術の普及、向上に貢献した。
通知式でゲストスピーカーを務めたのは、友寄正人氏(66)。日本野球機構(NPB)の前審判長で、現在は野球規則委員を務める。友寄氏は、富沢氏のことを「本当に厳しい審判」だったと語った。
友寄氏は78年にセ・リーグに入局したが、その際の採用担当の1人が富沢氏だった。友寄氏の採用に唯一反対したという。それほど、厳しい目を持っていたということか。
入局後、甲子園での試合に富沢氏が来る際は、必ず旅館を訪ね、教えを請うたという。
ある日のこと。富沢氏から「打順の間違い」に関するルールについて質問された。「正直言って、今でも分かりません。非常に難しいルール。私は生半可な答えをした」。すると、横になっていた富沢氏が起き上がるや、こう言った。
「貴様、帰れ!」
友寄氏は夜中に25分かけて、自分が泊まる宿舎まで歩いて帰ったという。
後日談がある。翌日、富沢氏から手紙が届いた。
「娘と同じ世代の君に、きついことを言って大変申し訳なかった。ただ、安易に中途半端な答えをするのは、審判としてやってはいけない」
また「1試合、1試合、テーマを持って出なさい」とも言われたという。友寄氏は「そのことを私もずっと受け継いでやってきました」と思い返した。最後は「富沢さんが残された功績を、私たちは継承していかなければならない責任があると思っています。本当におめでとうございます。これまでのご尽力に感謝申し上げます」と締めくくった。



