17日に心不全で急逝した日本ハム投手コーチの小林繁氏(享年57)の告別式が20日、福井市の「千福寺りんどうホール」でしめやかに営まれた。阪神真弓監督ら球界関係者を含む500人が参列。プロ野球界を揺るがした「江川問題」の当事者だった江川卓氏(54=野球解説者)は騒動になることを配慮して参列を控えたが、直筆の手紙が静子夫人へ届けられた。

 列席者のむせび泣く声が響く空間に姿は見せなくとも、江川氏は遠くから、小林氏をしのんだ。喪主を務めた静子夫人のもとへ、江川氏から1通の手紙が届いた。関係者によれば、直筆で丁寧に1字、1字、したためられていた。騒動による混乱が起こる可能性に配慮し、やむなく参列を控える胸の内が記されていたという。

 79年の「江川問題」。江川氏の悔恨の思いが伝わるような、ケジメのお別れになった。07年のCMでの対面、死去した17日に江川氏が開いた緊急会見、そして手紙…。関係者は「江川氏の思いが、(周囲に)これで分かってもらえることでしょう」と神妙に話した。

 真っ青に広がった福井の空の下、小林氏は出棺された。心の中で手を合わせていたであろう江川氏だけでなく、阪神で同僚、近鉄ではともにコーチとして戦った阪神真弓監督ら、多数の球界関係者に見守られ送り出された。近鉄コーチ時代に師弟関係の前レンジャーズ大塚が「人生は人との出会いで変わる。小林さんとの出会いで、野球人として変わった」と弔辞を述べた。

 「空白の1日」とされる世紀のトレードにかかわった当時の巨人監督、長嶋茂雄氏からは「監督時代の優勝に多大な貢献をされた姿をしのび、心からご冥福をお祈りします」の弔電が届いた。私生活では自己破産するなど数奇な運命と向き合い、打ち勝ってきた壮絶な一生。江川問題に直面した際、周囲へ「野球が好きだから阪神へ行く」と告げたという秘話も、明かされた。ファンを魅了した反骨の象徴、孤高の名投手の最期は、人のぬくもりに包まれていた。【高山通史】

 [2010年1月21日8時42分

 紙面から]ソーシャルブックマーク