年末恒例となった17年のスポーツ界を顧みる連載「取材のノートから」の第3回は、ボクシングのWBA世界ミドル級王者村田諒太(31=帝拳)の王座奪取の裏にあった心の動きに迫る。5月の王座決定戦では不可解判定で敗れたアッサン・エンダム(フランス)に、7回終了時TKOで雪辱を果たした10月22日のタイトル戦。五輪金メダリストとして史上初の世界王者となったリングで気になった笑顔の理由とは。

 「笑っている?」「笑っている」「また笑う」

 会場外で台風が吹き荒れた夜、村田がエンダムを破った姿をリングサイドで見つめたノートには、そう書き殴った文字が残る。

 「楽しかったんですよ。試合を楽しもうと思って楽しんだのではなく。楽しもうは、心にうそをついてますけど、本当に楽しめた。本当に大きかった」

 後日、その真相を本人に聞いた。答えはある場面にさかのぼった。

 最初、笑顔ととらえていいのか迷って「?」をつけた場面は、ゴング開始前。白いマウスピースを歯から大きく露出させ、グローブで拍手を送っていた。

 「ニホンノボクシングファンノミナサマ、コンバンワ!」。響いたのは白髪見事なリングアナウンサー、ジミー・レノン氏の声だった。殿堂入りの59歳は、90年の世界ヘビー級王座戦タイソン-ダグラス戦で初来日している。今回も運んできた本場の香り。

 「ジミーさんが僕の名前を呼んでくれるなんて、夢のよう。本当にうれしくて、楽しくなった」。自他共に認めるボクシングマニア。中2で辰吉-ウィラポン第2戦を大阪ドームで初生観戦してから、幾多の試合を見ただろう。「千はいっている」と謙遜するが、おそらく万超え。テレビの中でずっと見てきたのがレノン氏だった。興奮、高揚、自然に笑みがこぼれた。

 試合開始。今度は確信を持ってノートに「笑っている」と書いた場面は1回の最中。明らかに笑っていた。よほど楽しかったのだろう。試合は、エンダムが初回から第1戦と戦略を変更。最初の1分間でクリンチ3回。距離をつぶし、なりふり構わなかった。ただ、村田は冷静沈着。口角を動かすと、首の筋肉が緩み、肩が下がる。顔の緊張を取る笑顔には、体の緊張を解く効果もあるとされる。よどみなく対応した。

 第1戦との大きな違いはボディーの多さだった。284発中8発で約3%だった腹打ちが、第2戦では279発中51発で約18%に増加。接近戦が多くなり得意の左ボディーの距離感になったことが勝因だが、初回から慌てずに対処する様には、あの笑顔による効果もあったと思っている。

 「好きこそ、無敵」。フィギュアスケート元世界女王の浅田真央さんを起用したCMで流れる文句で、村田の感情を聞いた時に思い出した。誰よりもボクシングが好きだったからこそ、レノン氏の存在で試合を楽しめた。好きの蓄積が、抽象的ではなく、現実的に作用した、そんな嵐の夜の戴冠だった。【阿部健吾】