「革命戦士」こと長州力(67)が、45年のプロレスラー人生の幕を閉じた。

おなじみの「パワーホール」での入場に、白のリングシューズに黒のトランクス。長州はいつもと変わらぬ姿で淡々とプロレス人生を締めくくった。

後楽園ホールで行われた最終試合のチケットは、即日完売。試合は全国27カ所の映画館などでライブ中継された。67歳になっても衰えないぎらぎらしたオーラで、最後まで多くのファンを熱狂させた。

最後の試合となる6人タッグマッチで越中詩郎(60)、石井智宏(43)と組み、藤波辰爾(65)、武藤敬司(56)、真壁刀義(46)組と対戦。藤波相手にサソリ固めを決め、越中との連係で武藤を攻め立てた。さらに真壁にラリアットを見舞いダウンさせると、すかさずサソリ固めで攻めた。

しかし形勢は逆転。攻められる時間が長くなり、トップロープから真壁に繰り返しニードロップを浴びると、最後は抑え込まれてカウントスリー。会場が静まり返る中、あえなくフォール負けした。

晴れやかな表情でリングに立った。あらためて「チョーシュー、リーキー」と紹介とされると、会場からは「長州コール」が巻き起こった。マイクを手にした長州は「45年間、本当に長い間応援され、ここまでくることができました。私にとってプロレスとは、勝っても負けても、私はイーブンでした」とあいさつ。

そして妻の英子をリングに呼び寄せ、リングの上で抱擁。熱いキスを交わした。「もう引退して家族のもとに帰ります」と話した。

さらに会場に向けて「ハセ!」と呼びかけ、かつてともに戦った元プロレスラーで後輩の国会議員、馳浩氏をリングに呼び込んだ。がっちり握手し、馳氏から「長い間本当にありがとうございました」とねぎらいの言葉を受けた。

マイクを再び握った長州は「この会場の雰囲気をつくっているのはファンのみなさんです。引き続き、選手に向けて熱い声援をよろしくお願いします」と話し、マイクを置いた。笑みを浮かべ、満足げな表情で会場を見渡した。

1998年1月4日の東京ドーム大会で、1度は引退した。しかし2000年7月に大仁田厚との有刺鉄線電流爆破デスマッチで復帰。この日、最後の対角線には、21年前の引退試合にはいなかった生涯のライバル藤波がいた。

約37年前。藤波との戦いがプロレスラー長州力の名を高めた。1982年10月8日、新日本プロレスの後楽園大会。若きエース藤波に長州が突然かみついた。タッグマッチで味方だったにもかかわらず、長州はタッチを拒否。試合後、マイクを取って、怒りをぶちまけた。その暴言をきっかけに大乱闘を繰り広げた。後に「かませ犬」発言として世に広まったものだ。

当時、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得し帰国した藤波は28歳の若さながら、猪木に次ぐエースとして期待されていた。一方、2歳上の長州はアマレスで五輪に出場し、鳴り物入りで入団したにもかかわらず人気はいまひとつだった。そんな状況に反乱を起こした長州がファンを熱くさせた。2人の対決は「名勝負数え歌」として、熱狂を巻き起こした。長州-藤波はそれまでの定番だった「日本人対外国人」ではなく、日本人同士の対戦に価値をプロレス界に革命を起こした。

この日は、平成維新軍やWJプロレス時代をともにした越中、最後の弟子石井とタッグ。藤波側にはかつての付き人である真壁と、後輩武藤。18年に膝の人工関節手術を受けた武藤は、この日を復帰戦に選んだ。長州を中心に団体を超越した夢のカードが実現した。昭和、平成と話題をふりまき続けた長州は、最後までプロレス界を盛り上げた。【高場泉穂】