新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの国内メジャー3団体が12日、都内で合同記者会見を開き「ALL TOGETHER AGAIN 元気があれば何でもできる!」(6月9日、東京・両国国技館)の開催を発表した。

コロナ禍で沈んでいた日本を元気に、そして故・アントニオ猪木さん(享年79)への追悼の意が込められている。11、12年には東日本大震災復興支援として「ALL TOGETHER」が行われており、11年ぶりに3団体合同興行が帰ってくる。

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伝説のイベントが帰ってきた。新日本、全日本、ノアの国内メジャー3団体による合同興行「ALL TOGETHER AGAIN 元気があれば何でもできる!」。合同記者会見に登壇した新日本の菅林直樹会長は、20年からの新型コロナ禍でプロレス界も大きな影響を受けたことを踏まえ「混沌(こんとん)からのリスタートという意味を込めて」とうなずいた。

さらに、昨年10月1日に死去した新日本創設者・アントニオ猪木さん追悼の意も込め、燃える闘魂の名言「元気があればなんでもできる」がサブタイトルに添えられた。一周忌に向けて、団体の垣根を越えた追悼興行を模索していた中、プロレスで、日本へ元気を届ける。

3団体を代表し、新日本・棚橋弘至、全日本・宮原健斗、ノアの清宮梅斗も出席。棚橋は「プロレス界から良いエネルギーを発信できたら」と力強く言った上で「こういう状態で猪木さんだったら、絶対に行動を起こすのでは、とイメージできます。そういった思い、行動力、何か言ってくれるんじゃないか」と思いをはせた。宮原も「猪木さんは偉大なプロレスラー、全国民が知っている。最高に元気いっぱいにプロレスをしたい」。清宮は「元気のいい部分、何度もはねかえしていく力、自分なりに見せていきたい」とかみしめた。

いつの日も、時代も、プロレスが他のスポーツ同様に、元気を届ける役目を担ってきた。過去の「ALL TOGETHER」は、東日本大震災復興支援として開催。11年8月27日は東京・日本武道館、12年2月19日は宮城・仙台で。人々に笑顔を届けてきた。

普段は相まみえることのない団体、選手、そしてスタッフも、この日だけは1つとなり、両国の地に集結する。宮原は「今も昔もプロレスは最高だということを大いに表現したい」と言った。この数年はコロナでマスク生活が当たり前となり、日常に制限がかかっていた。声出し応援も解禁となりつつある。暗かった世相に別れを告げるべく、不変の極上のエンターテインメントを届ける。【栗田尚樹】

★ALL TOGETHER2大会VTR★

◆第1回(11年8月27日・日本武道館)東日本大震災復興支援チャリティー興行として開催され、超満員1万7000人のファンが集結。新日本、全日本、ノア、フリー選手ら82選手が出場。セミで武藤敬司、小橋建太がタッグ初結成で話題に。矢野通、飯塚高史組を下した。メインは潮崎豪、諏訪魔、棚橋弘至組-中邑真輔、KEOSO、杉浦貴組の6人タッグの顔合わせ。主要3団体の看板選手たちが敵味方に分かれて大会を締めた。

◆第2回(12年2月19日・仙台サンプラザホール)被災者に観戦してもらうために仙台で開催。バトルロイヤルなどの試合数減少もあり厳選された50選手が出場。ダブルメインとして小橋、武藤組-大森■(■は隆の生の上に一)男、秋山準組のタッグ戦と森嶋猛、諏訪魔、棚橋弘至組-潮崎豪、真田聖也(現SANADA)、内藤哲也組の6人タッグ戦が組まれた。観衆は3500人(満員)。

★主なプロレス追悼興行★

◆ジャイアント馬場 99年5月、全日本東京ドーム大会で「引退記念試合」と銘打った追悼セレモニー開催。ハンセンらライバルが登場。馬場、デストロイヤー組-サンマルチノ、キニスキー組のタッグ想定で進行。デストロイヤーのあいさつが涙を誘った。

◆橋本真也 07年1月、新日本と全日本の創立35周年記念の新日本東京ドーム大会に全日本の武藤が参戦。蝶野と組み、天山、小島組と対戦。武藤と蝶野は橋本のけさ斬りチョップやDDTを繰り出し勝利。橋本の白いハチマキを巻き、入場曲の爆勝宣言が流れる中、大型画面に映る橋本の写真をバックにポーズ。

◆三沢光晴 09年9月、ノア武道館大会で行われ、全日本の武藤が参戦。田上と「社長タッグ」を組み、小橋-高山組と対戦。三沢の全日本時代の先輩・天龍も約4年ぶりにノア参戦。