大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全により亡くなったことが11日、分かった。54歳だった。同期入門の若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。かたき役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11度の幕内優勝を遂げた。現役引退後は総合格闘家、プロレスラーとしても活躍。最近は病状悪化が伝えられており、4月に入って容体が急変した。

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“プロレスの達人”の元横綱、曙関がなくなった。まだ、54歳の若さだった。ここ数年は病と闘っていたが、復活を信じていたのに残念だ。

曙関を、よく取材したのは2011年(平23)から12年までのプロレス・格闘技担当記者時代の2年間。全日本プロレスを中心に参戦して、プロレスを楽しんでいた時代だ。

呼び名は「横綱」。試合後の囲みコメント取材の輪が解けると、フランクに“横綱”から話しかけてくることもあった。大相撲、格闘技参戦時から顔見知りの記者よりも、芸能記者上がりの“ヨカタ(素人)”の方が気が楽だったのかもしれない。日刊スポーツの相撲、格闘技担当に仲のいい記者がいて、本紙に親しみを持ってくれていた。

3冠ヘビー級王座、世界タッグ、アジアタッグ王座を獲得した“横綱”だったが、12年8月27日に横浜文化体育館で“邪道”大仁田厚(66)と電流爆破マッチを戦った時は大きな話題を呼んだ。同日に全日本プロレスの3冠ヘビー級選手権試合があって「力道山の時代から続くインターナショナル・ヘビー級の流れを継ぐ王道のタイトル戦」と主張したが「横綱×邪道」の方が注目を集め、日刊スポーツの裏一面のトップを飾った。

12年11月に東京・荻窪駅前に開店した曙ステーキのオープン。そして、肉体改造のトレーニングと、流ちょうな日本語であれこれと話してくれた。03年の大みそかに行われた「K-1 Dynamite!!」では、野獣ボブ・サップ(50)と対戦して格闘家デビューのことも振り返ってくれた。組み付き、投げ技禁止のK-1ルールで、1回2分58秒に右ストレートを浴びて、前のめりに倒れてKO負け。失神してうつぶせになった姿が映し出された。

中継したTBSは瞬間最高視聴率が、裏番組のNHK「紅白歌合戦」の35・5%を7・5ポイントも上回る43・0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。平均視聴率も紅白歌合戦裏番組は史上最高の19・5%をマークした。苦い思い出だが、プロレスの水になじんだ当時は体調も良く、再戦への思いをにじませていた。

相撲は倒れたら負けなため、角界出身者は相手の技を受けて倒れる受け身に戸惑うことが多いが、横綱はあの巨体で華麗に受け身を取った。そして、何よりも素晴らしかったのがロープワークだ。あの巨体で、縦横無尽にロープに走り、跳ね返って、巨体で相手を受け止め跳ね飛ばす。本人は「バスケット(ボールを)やっていたから」と自信を持っていた。何よりも喜んでくれたのが、日刊スポーツで連日、アメリカ、メキシコをはじめとする世界中のプロレス情報を報じていたデーブ・レイブル通信員が「“横綱”のロープワークはすごい。あれだけの巨体で、あんなに素早い動きは他にない」と絶賛していることを伝えた時だ。「うれしいね。ありがたい」と満面の笑みを見せてくれた。

17年4月に急性心不全で倒れ、その後はリング復帰を目指してリハビリを続けていた。あの華麗なロープワークを見せる“プロレスラー曙”を再び見られることを願っていただけに残念でならない。ご冥福を祈ります。【元プロレス担当=小谷野俊哉】