大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さん(旧名チャド・ローウェン)が、今月上旬、都内の病院で心不全のため亡くなっていたことが11日、日本相撲協会から発表された。54歳だった。

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03年12月31日、曙さんは人気格闘家ボブ・サップとK-1デビュー戦に臨んだ。会場のナゴヤドームは4万3560人の大観衆で埋まった。結果は1回2分58秒で失神KO負けだったが、約3分間の中継局TBSの瞬間最高視聴率は43・0%。裏番組のNHK紅白歌合戦を上回る快挙だった。

旧K-1のイベントプロデューサーだった谷川貞治氏(63)が振り返る。「11月末に試合を発表した途端、すごい反響でした。試合は貴乃花と古賀稔彦と清原和博が解説。ゲストがマイク・タイソンとヒクソン・グレイシー。フジテレビのMCだった藤原紀香と長谷川京子もきて、国歌斉唱は小柳ゆきとスティービー・ワンダーですから」。

当時は空前の格闘技ブーム。03年の大みそかは日本テレビが「INOKI BOM-BA-YE」、フジテレビが「PRIDE男祭り」、そしてTBSが「K-1 Dynamite!!」を中継予定で“格闘技戦争”とも呼ばれた。

勝つためにK-1が白羽の矢を立てたのが元横綱の曙さんだった。「11月に九州場所中の博多をアポなしで訪問して、朝稽古の後に曙親方に契約書を見せて『相手はボブ・サップです』と切り出した。彼は笑うでも怒るでもなく『ボブ・サップかあ』と言うと、電信柱に向かってシャドーボクシングをするしぐさを見せた。すぐに食事にお誘いして口説き落としました」(谷川氏)。

もっとも曙さんは勝てなかった。キックボクシングは1勝9敗。総合格闘技は4戦全敗。その後、プロレスに戦いの場を移した。

「あまり練習しなかった。私も『もう少し練習した方がいいですよ』と言ったんですが、あの体なので練習しなくても勝てると思っていたんでしょう」

最近は10年以上会っていなかったという。「もっと会っておけばよかった。K-1最大の功労者。本当に残念でならない」と、谷川氏は故人の早すぎる死を惜しんだ。【首藤正徳】