大関高安(29=田子ノ浦)が、異例の直前休場を決め、かど番脱出に黄色信号が点灯した。

土俵入りまでこなしながらも幕内前半戦開始後に休場を願い出て、宝富士戦は不戦敗。九州場所担当部長の境川親方(元小結両国)によると「ぎっくり腰」だという。決まっていた9日目の取組も急きょ変更。「割り返し」の末に休場となった。3勝5敗となり、再出場しなければ来年1月の初場所は大関から陥落する。

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西の支度部屋にいた高安のもとに、親方衆らが次々と訪ねてきた。本来、相撲を取る時間の約1時間前、午後4時50分ごろだった。境川親方らが険しい表情で風呂場から出てくる高安を待っていた。その間に同親方は、高安の師匠で膝痛で休場中の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)に電話した。「お前も具合が悪いだろうが、こっちも都合があるんだ。早く言わんかい!」。高安の異例の直前休場で、支度部屋はピリピリとした空気に包まれた。

そんな中、高安が付け人の両肩に手を置き、痛そうに腰をくねらせながら風呂場から出てきた。座り込むと境川親方と約5分間、話し合った。その後、高安は報道陣に無言を貫いて帰途に就いた。境川親方が「ぎっくり腰。(まともに)歩けないんだから仕方ない。こっち(会場)に来る前から痛かったようだ」と代弁した。急きょ休場し、この日は不戦敗、割り返しの末に9日目は休場となった。

再出場は最速でも10日目以降となる。現在は3勝。10日目に出場しても、かど番脱出には残り6番で5勝が必要だ。7月の名古屋場所で左肘靱帯(じんたい)断裂の重傷を負ったが、9月の秋場所を全休して今場所の出場にこぎ着けた。そんな中で再び試練となった。

土俵入りまでした後に休場するのは極めて珍しい。関係者によると、土俵入りで支度部屋を出入りする際の数十センチの段差の上り下りも、苦しそうに大粒の汗を流していたという。再出場か、1度関脇に転落しても来場所10勝以上での返り咲きを目指すのか。次の決断も迫られている。

◆土俵入り後に休場した主な関取 1957年初場所5日目、大関大内山は支度部屋で四股を踏んでいた際、膝を痛めて休場。再出場することなく、大関から陥落した。1989年秋場所12日目、西前頭3枚目の富士乃真は控えに座っていたところ、三杉里が落ちてきて左腓骨(ひこつ)などを骨折。立ち上がることができず、不戦敗となった。