日本相撲協会は21日、元関脇勢(34=伊勢ノ海)の引退、年寄「春日山」襲名を発表した。05年春場所で初土俵を踏み、11年九州場所では新十両優勝。12年春場所で新入幕を果たすと、身長190センチ超えの体格を生かした右四つを武器に、金星5個獲得、敢闘賞4度受賞と活躍した。

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勢と話をすると、いつも前向きな言葉が出てきた。自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。それでも、その言葉を100%信じられる力がすごかった。

10勝1敗と快進撃を続けていた15年秋場所12日目、朝稽古で部屋を訪れた。自然と「重圧」の話題になったとき、うまく消化できていると答えた。その考え方が前向きだった。

「何でもそうですが『あのとき』があったから今がある。先場所があったから今場所がある。全部つながっているんです、絶対に。失敗して、反省して、次に生かす。だから、失敗は失敗じゃないんです。負けは負けじゃないんです。そう思ったとき、全て前向きに思えるようになりました」

頭角を現した当時、「元ニート」の肩書をつけられることが多かった。それが嫌だった。

高校受験に失敗して、家業のすし屋を手伝いながら、ゴルフの練習に明け暮れたりした。角界に入るまでの3年間は、一般的に「ニート」と呼ばれる時間ではあった。

「実際そう書かれても仕方ないのは分かっているんですが、フラフラして遊んでいたわけではないんです。いろいろと将来のことを考えた時間でした。その時期をニートというひと言で片付けられるのがボクは嫌で…。すごく悩んだあの時間が良かったんです。もし、慌てて角界に入っても嫌になって辞めていたと思います。考えて考えて選んだ道。だから、入門してから辞めたいと思ったことは1度もないですから」。

取組後の支度部屋。勝っても負けても、勢は口を開いた。喜びとか悔しさという感情を言葉に乗せず、自身の取り口を淡々と解説するのが常だった。

「自分に言い聞かせているところもあるんですよ。風呂から上がって一番冷静になれる時間。負けても納得いくときがあるし、勝っても歯がゆいときもある。だから、結果を求めるんじゃなくて、まず内容に重きを置いている。自分に言い聞かせながらしゃべっているから、相手(記者)が『うん』と言ってくれたら安心するんです」

白星を挙げた取組後、NHKのインタビュールームに呼ばれた際、2度ほど思わず苦笑いしたことがある。

1つは、翌日の対戦相手を知らされたこと。意識し過ぎて眠れなくなってしまうため、知らずに一夜を過ごすのが習慣だったことを知らないアナウンサーから、聞かされてしまった。

もう1つは、「モンゴルの怪物」として快進撃を続ける新入幕の逸ノ城を止めた14年秋場所7日目。勝ち越しでも上位撃破でもないのに「国技館が盛り上がったので」と、急きょインタビュー室に呼ばれた。

そんなことも「幕内だからできる、いい経験ですね」と前向きにとらえていた。

「自分はいっぱい漢字が好きなんですけど、その中でも信念の『信』です。いい言葉。信じる、でもありますしね」

自分を信じ、周りも信じながら、信念を持って力士人生を全うした。それが勢だった。【元相撲担当・今村健人】