今月11日に現役引退と年寄襲名が発表された、元前頭旭日松の桐山親方(31=友綱、本名・松嶋広太、千葉県野田市出身)の引退会見が22日、師匠の友綱親方(元関脇旭天鵬)同席の元、都内でオンライン形式で行われた。

幕内4場所、十両30場所を務めながら約4年前から糖尿病を患い、関取の座から17年名古屋場所で幕下に陥落。それを隠しながら懸命に再十両を目指したが「陥落した時に少し(緊張の)糸が切れてしまった。去年の7月場所を終えたとき、自分は勝つ気持ちで相撲を取るタイプなのに、負けても心の底から悔しいと感じなくなった。負けて悔しい気持ちが薄れ(そんな)自分に腹が立ちました」と引退の経緯を言葉を詰まらせながら語った。

引退する決意を伝えた時、6歳の長男は「パパが相撲を取っている姿をまだ見たい」と後ろ髪を引かれる思いをしたが、夫人の「自分が選んだ道だから悔いのないように最後までやり通して」の言葉で決断したという。

3歳からレスリングを始め小学校時代は5年連続全国優勝。中学時代も優勝経験がありながら「レスリングでは飯が食えない」と中学卒業後、大島部屋に入門(その後、友綱部屋に移籍)し05年春場所で初土俵。「(相撲は)全く知らなくて戸惑いもあった。最初はしんどくて不安で仕方ない毎日だったけど、稽古していくうちに十両に上がり、幕内にも上がらせてもらった。稽古相手にも恵まれて、本当に良かったなと心の中から思える環境だった」と話した。3人の師匠の元での現役生活には「3人の師匠、3人のおかみさんに感謝の気持ちでいっぱいです」とも語った。

数ある思い出の相撲の中で、一番に挙げたのは新入幕の12年秋場所、5勝1敗で迎えた7日目の高安戦。初土俵が同期の相手は6戦全勝中だった。「(高安は)1年前ぐらいに(幕内に)上がっていたんですが、その時から『早く幕内の土俵入りを(一緒に)しようよ』と声をかけてくれたり、仲良くしてもらいました。負けましたが忘れられない取組の一番」と、当時を思い出すような口調で話した。

「今の師匠に恩返しができていない」と話す桐山親方に、師匠の友綱親方は「そんなことはない。彼が15歳の時、学校まで僕と先々代で迎えに行ったのが、昨日のことのようです。元気の良さと明るさで部屋を盛り上げてくれ幕内にも上がった。それで十分、恩返し。よくやってくれた。魂の入った稽古で旭秀鵬、旭大星も続いて、みんなのいい存在だった」と、ねぎらった。今後についても「小さくても頑張ったということが伝われば(後進の)励みになる」とエール。桐山親方も「明るく元気でハキハキとした、勝ちに貪欲な負けん気の強い子を育てたい」と抱負を語った。