電撃引退した大相撲でモンゴル出身、元関脇逸ノ城の三浦駿さん(30)が7日までに、都内で日刊スポーツのインタビューに応じた。
3月の春場所の十両優勝後の5月4日に突如引退。その後、相撲界と距離を置いてきたが、半年ぶりに沈黙を破り、来年2月11日に都内のホテルで行う断髪式への思い、現在の暮らしぶりなどを告白。現役時代は初土俵から5場所目で、新入幕優勝に迫った「怪物」の“今”に迫った。【取材・構成=高田文太、平山連】
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約半年前の引退会見を最後に、三浦さん(以下、元逸ノ城)に関する情報は途絶えた。会見では「歩くのも、横になるのもかなりつらい」と、腰痛を引退理由に挙げた。引退時に191センチ、219キロだった大柄な体からSNSなどで、ファンからは体調を心配する声が多かった。だが久しぶりに姿を見せると「元気です!」と、終始笑顔でインタビューに応じた。
★断髪式
「まげを切った」という、うわさまで出たが髪は長いまま。来年2月11日に都内ホテルで行う断髪式への思いを語った。
「つい最近、決まりました。やっと招待状もできたので、あいさつに回る予定です。人数は決まっていませんが、一般の方にも、はさみを入れてほしいと思っています」
東京・両国国技館での開催ではないため、最後の取組は行われない。まげの元逸ノ城のまわし姿はもう見られない。「もう1度、国技館の土俵に立ちたかったのでは?」。そう聞くと、自らに言い聞かせるように話し始めた。
「うーん…。でも、ホテルでやっていただけるので。応援してもらった皆さん、女性の方にもはさみを入れてもらいたいので。最後のけじめ。まわしを巻くことはできないけど、最後に楽しくやれたらいいなと思います」
両国国技館で行われた新入幕の14年秋場所で、いきなり金星を挙げるなど優勝に迫った。「怪物」と呼ばれ、テレビCMにも出演した。所要5場所で関脇昇進。次代のホープと期待された。それが最後は電撃引退。十両とはいえ、直前の春場所を14勝1敗の好成績で優勝したばかりだった。「まだやれた」。そんな声も多かった。“記憶に残る力士”として強いままファンの脳裏に刻まれている。だが元逸ノ城は現役への未練、名残惜しさは口にしなかった。
「私はもう引退したので(未練や後悔など)そういうものはないですね。やることはやったと思っているので。いろいろ考えて引退になった。最後の場所で優勝して引退。それもいいじゃないですか。ただ、急だったので(応援してくれた)皆さんに本当に申し訳なかったです」
ファンや後援者への感謝の言葉は尽きなかった。一方、最も密接だった師匠の湊親方(元前頭湊富士)、おかみ、湊部屋の力士の断髪式参加には否定的だった。
「自分でやっている断髪式。だから部屋(湊部屋)から参加することはないと思います」
通常、師匠が行う止めバサミも「まだ決まっていない」と話した。
★師弟関係と酒
もともと引退の裏で師弟の確執が取り沙汰されていた。要因の1つが飲酒。昨年末、日本相撲協会は、元逸ノ城が酒に酔って暴力を振るった過去があったと認定したとの調査結果を発表。その飲酒について、自らの口で初めて説明した。
「どんな人でも、たまには付き合いで飲みすぎることもありますよね。『アルコール依存症』と週刊誌に書かれたこともありました。でもファンの方には自分で判断してほしい。何が正しいか。今も付き合いで飲むことはあります。でも飲みすぎることはないです。日本に住んで第2の人生を送るので、また応援してほしいです」
引退会見の最後に師弟が背を向け、左右別々の扉から会場を出た場面が、確執の象徴として取り上げられた。扉を出た直後、師匠とは「特に話していない」としていた。
湊親方によると、元逸ノ城の現役の終盤から引き続き、接触は互いの弁護士を通してのみ。今も直接のやりとりはなく「断髪式のことは初めて聞きました」と師弟関係が平行線のままである様子だった。
ただ元逸ノ城は師匠との確執には言及しなかった。
「相撲に育ててもらいました。相撲は人間を厳しく、強く、優しくしてくれる。相撲でいろいろと学んだから今がある。今も相撲が大好きです」。
親方、おかみさんへの思いを聞くと「お世話になったのは本当なので」と、感謝の思いは忘れていない。断髪式という新たな目標を見つけ、胸のつかえが取れたように笑顔のままだった。
◆三浦駿(みうら・たかし) 元逸ノ城。1993年4月7日、モンゴル・アルハンガイ県生まれ。10年に鳥取城北高へ相撲留学。13年に全日本実業団選手権を制覇し、幕下15枚目格付け出し資格を得て湊部屋に入門。14年初場所で初土俵、同年秋場所で新入幕。同年九州場所で新関脇。21年9月に日本国籍を取得。今年5月の夏場所前に腰痛の悪化で現役引退。最高位は関脇。優勝1回。殊勲賞3回、敢闘賞1回。金星9個。
◆5月4日の逸ノ城の引退会見VTR 確執がささやかれていた師匠の湊親方(元前頭湊富士)とともに東京・両国国技館で臨んだ。慢性化していた腰痛の限界を訴えて引退を表明し、思い出の取組は「引退が急すぎて、思い出せない」と気持ちが整理できていない様子だった。今後については「今のところは何も考えられない」と表情はさえず、会見後には湊親方と別の出口から退出した。
<逸ノ城の引退までの経過>
★初優勝 昨年7月の名古屋場所で幕内初優勝。新入幕から所要47場所は史上9位のスロー記録だった。
★親方夫人への暴行疑惑 昨年九州場所前、師匠の湊親方(元前頭湊富士)との確執、おかみへの暴力、自身のアルコール依存の疑いが週刊誌などで取りざたされた。
★1場所出場停止 コロナ禍で外出禁止だった20年11月、21年8月に無断で2度外出したとして日本協会から今年初場所の出場停止処分を受けた。暴力についても「一部、事実関係を確認した」と発表された。
★十両優勝 出場停止明けの春場所は十両で栃ノ心、朝乃山、落合(現・伯桜鵬)らを抑えて14勝1敗で自身2度目の十両優勝。
★電撃引退 夏場所で2場所ぶり再入幕を決めた直後の5月4日に電撃引退を発表し、10年間の力士人生に別れを告げた。