関脇琴ノ若(26=佐渡ケ嶽)が、悔し涙で事実上の大関昇進を決めた。本割は東前頭4枚目翔猿を、上手投げで破って13勝2敗。同じく2敗を守った横綱照ノ富士(32=伊勢ケ浜)との優勝決定戦は、寄り切りで敗れて初優勝は逃した。それでも、ともに関脇の先々場所9勝、先場所11勝と合わせ、大関昇進目安の三役で3場所33勝に到達。日本相撲協会審判部は、31日の臨時理事会招集を要請し、了承された。臨時理事会で昇進を見送られた前例はなく、事実上「大関琴ノ若」が内定した。3場所休場明けの照ノ富士は、4場所ぶり9度目の優勝を決めた。

支度部屋のテレビから、大関昇進内定を伝える中継の音声が流れていた。祝福ムードに包まれそうな状況とは裏腹に、琴ノ若の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。過去全敗の照ノ富士に7度目の挑戦も敗れた。昇進の喜びなどなかった。心境を問われると、約1分間も沈黙を守った後に「悔しいです」とポツリ。唇をかんだ。初優勝で昇進-。どちらも全力で挑んだからこそ、満足はできなかった。

本割はくせ者の翔猿をつかまえ、右は上から押しつぶすようにして、左から上手投げで仕留めた。ほどなく行われた初体験の優勝決定戦。2日前の13日目に敗れた照ノ富士に、もろ差しで主導権を握りかけた。だが右四つ、さらには左も巻き替えられ、寄り切られる完敗。「負けは負け。結果が全て」と、悔しさを押し殺すため右手を握り締めた。

悔しさと無力な思いを感じる度に、成長してきた。祖父は自身が9歳の時に亡くなった元横綱琴桜。父は元関脇琴ノ若で、師匠の佐渡ケ嶽親方というサラブレッドだ。力士になると決めたのは、父が引退した日だった。8歳になって間もない05年九州場所13日目。取組を終えた父から、部屋宿舎に向かう車中で引退を伝えられた。さみしさ、何もできない自分の無力さを子どもながらに感じつつ「力士になる」と父に伝えた。半信半疑だった父に「相撲の世界は厳しいぞ」と、本気度を確かめられたが「なる!」と、引かなかった。

思いは伝わり、父から後を託された。「お父さんは今日を最後に、土俵に上がることはない。あとはお前に任せたぞ」。それから18年余り。ついに父の番付を超える。高校3年の10月に入門した日には「これからは親子ではない。師匠と弟子だ」と告げられた。「特別扱いしていると思われたくない」(佐渡ケ嶽親方)と、部屋では他の力士よりも厳しく指導された。同じことをしても自分だけ怒られ、悔しかったが耐えた。

「師匠を超えたい思いでやってきた。優勝して上がりたかったけど、先代(祖父)の番付も見えてきた。父と墓参りに行きたい」。祖父の現役引退は74年。父と同じ名で初優勝、さらには50年ぶりに「琴桜」の名を復活させ、横綱を目指すつもりだ。【高田文太】

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