小学校時代から力士になる覚悟が垣間見えた。同郷の鬼才、文豪の太宰治の「微笑誠心」を校訓に掲げる金木小時代の卒業文集のテーマは相撲だった。週6回の稽古に打ち込んだ日々。中学ではより一層の稽古に励んで強くなりたいとの目標はもちろん「将来日本を明るくしてより楽しくできるように」と、角界で活躍する思いをはせていた。

学区内の金木中に進んだが、そこに相撲部はなかった。1年時に師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も通ったつがる市の木造中に転校する。練習環境が整って充実した稽古を積んできたが、主将を務めた3年時は苦しんだ。同学年の部員がおらず、練習相手もいなかった。

「相撲部の部長として」と題した中学の文集には、その苦しみを赤裸々に明かしている。「練習相手がいない、それが自分の成長につながらないのではないか」と焦りと不安を吐露しながら「それでも僕は自分を信じて日々の練習をこなしました」とつづった。強豪高校などとの「血もにじむような練習」の日々を振り返りながら、最後には後輩たちへ「来年の勝敗は、今の練習から始まっている」と激励。結びには「僕はこれまで支えてくださった人達に恩返しできるよう、今日も稽古に励んでいます」と締めた。

中学卒業から9年。24歳は110年ぶり新入幕優勝の快挙を成し遂げた。中学の文集で書いた「恩返しできるよう、稽古に励んで」、小学校の文集で記した「日本を明るくして楽しく」させるとの夢を実現した。【平山連】