03年11月の朝、私は都内のあるジムの前に立っていた。当時は格闘技担当。K-1転向を表明した曙さんの極秘練習を取材するためだった。

数日前からジムの入り口で曙さんに名刺を差し出し、話しかけていたが、彼は目を合わせようとせず、返事もなかった。ところが急に冷え込んだこの日は、私の姿を見つけると彼の方から声をかけてきた。

「こんな所に立っていたら風邪ひくぜ」。

思いがけない優しい笑顔に私は意表を突かれた。その後、彼の計らいでジムに入れてもらった。その温かさに感激する一方、私は何となく彼が格闘技には向いていない気がした。

年寄株を取得できないことが転向の要因だったが、彼はもともと格闘技に強い興味を持っていた。

「張り手も自分には効かない。パンチを受けても大丈夫」。

自信もあった。ただ格闘家としては素人。プロボクシングの元世界ヘビー級王者とのスパーリングではパンチが1発も当たらず、血だるまにされた。

自分よりも小さな練習相手とのスパーリングでは非情に徹することができなかった。とどめの1発をちゅうちょする“優しさ”があだになった。

同年大みそかのボブ・サップとのデビュー戦は1回KO負け。その後、プロレスへと戦いの場を移した。

当時は格闘技全盛時代。大みそかには民放テレビ局3局が格闘技を中継し、視聴率を競い合った。話題性のある選手をリングに上げるため、億単位のファイトマネーが提示されたとも聞く。

もし、年寄株を取得できていたなら、格闘技ブームでなかったら、そして曙がもっとエゴイスティックな人間だったら、元横綱の人生は違ったものになっていたかもしれない。【元バトル担当 首藤正徳】