大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さんが心不全により亡くなったことが11日、分かった。54歳だった。同期入門だの若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に横綱昇進。かたき役になり膝の故障になきながら、長身を生かした突き押し相撲で11度の幕内優勝を遂げた。現役引退後は総合格闘家としても活躍。最近は病状悪化が伝えられており、4月に入って容体が急変した。

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旅立った故人に失礼を承知でいえば、絵に描いたようなヒール(悪役)だった。相撲界は「若貴ブーム」全盛期。国民的人気の兄弟の前に大きな体で立ちはだかったのが曙さんだった。

憎らしいほど強かった。長い手足、230キロを超える巨体をフルに生かした突き押し相撲で人気力士をなぎ倒していった。土俵上での堂々たる振る舞いの一方で神経はこまやか。地方場所で食事に出た際、心ないやじを浴びるため204センチの体を小さく見せようとしていた努力も聞いた。

ちゃんこ鍋にケチャップやパイナップル。“アメリカン”を体現していた半面、だれよりも日本人の心を理解しようとしていた。今も記憶に残るのが外国出身力士で初めて横綱に昇進した93年、九州場所の前に話をする機会に恵まれた。

精神面で「横綱曙」を築いたのは28代木村庄之助だったという。93年九州場所が最後だった28代木村庄之助は「横綱とは」を曙に教えた。中でも曙さんの心に刺さったのが大横綱双葉山の有名な言葉、「我いまだ木鶏にたりえず」だった。

「木鶏とはなんぞや」。曙さんは木村庄之助に問うた。「何事にも心を動かさないさま」を教えられ、曙さんは横綱という地位の厳しさを思い知ったという。「俺は心が弱い。大事な時にいろいろ考えてしまうけど、その心をどうやって無にできるのだろう。(木村)庄之助さんの話は学ぶことばかりだった」。

日本人の心を、横綱とはをだれよりも深く学ぼうとしていた。その姿勢は多くの外国出身力士が活躍する大相撲界につながる。まだ54歳、惜しむことしかできない。合掌。【大相撲担当=実藤健一】