同期の桜が散ってしまい心に大きな穴が開いてしまった。第64代横綱を務めた曙太郎さんの死去に際し、88年春場所初土俵の同期で第66代の横綱を務めた、元横綱3代目若乃花の花田虎上氏(53=日刊スポーツ評論家)が、悲しみに暮れる心の内を明かした。

「ライバルであり、苦楽をともにした良き友でもありました。あの大きい体と、そしてアメリカ人として戦えたことは本当に光栄でした。絶対に負けられないという戦い甲斐のある人でした」と述懐。さらに続けた。「土俵では互いに憎しみを込めて戦っていましたが、引退した後は教習所時代のことを思い出したり、会いたい人でもありました」。真剣勝負を繰り広げたからこそ生まれる、真の友情が曙さんとの間に育まれた。

忘れられない6年前の思い出がある。病床に伏していた曙さんを見舞いに、花田氏は病院を訪れた。そこで聞かされた関係者からのショッキングな言葉。その時、曙さんは記憶を失っていて「花田さんの顔を見ても誰か分からないかもしれません」と伝えられた。夫人のことは何とか分かるのだが、子どもに対しては反応できる状態ではなかったという。そんな状況で、いざ対面すると…。「私のことを、すぐに分かってくれたんです」。その証しなのか、曙さんは涙をボロボロこぼした。

それ以前に、まだ曙さんが元気な時に交わした約束があった。「以前から話していたんです。お互いにリタイアしたら(曙さんの出身地の)ハワイの木の下で同期生みんなで集まって会おうねって」。前述の見舞いの後、もう1度、会いたいと願った花田氏だが、コロナ禍になってそれもかなわず、まばゆいばかりの陽光の下、ハワイで再会する夢も露と消えた。「すいません。何と言ったらいいのか言葉がまとまりません」。追悼の言葉を探しあぐねる花田氏だった。

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