大相撲の第64代横綱を務めた米国ハワイ出身の曙太郎さん(旧名チャド・ローウェン)が、今月上旬、都内の病院で心不全のため亡くなっていたことが11日、日本相撲協会から発表された。54歳だった。

同期入門だった若貴兄弟としのぎを削り、2人より先に外国出身としては史上初めて横綱に昇進。かたき役になり両膝の故障に苦しみながら長身を生かした突き、押し相撲で11回の幕内優勝を遂げた。引退後は総合格闘家、プロレスラーとしても活躍。最近は病状悪化が伝えられていた。葬儀は近親者による密葬で執り行われる。

   ◇   ◇   ◇

横綱時代は204センチ、230キロ超の体格を誇った曙さんが天国へと旅立った。17年4月、福岡・大牟田でのプロレスの試合後に体調不良を訴え救急搬送。以来約7年の闘病生活を続けてきたが、今月に入り体調が急変。クリスティーン・麗子・カリーナ夫人、来日中だった長男コーディーさんら家族に見守られ、静かに息を引き取った。亡くなる直前には夫人へ「アイ・ラブ・ユー」と、言葉を伝えたという。

ハワイの大学を中退し、88年春場所、18歳で初土俵を踏んだ。後に兄弟横綱となる3代目若乃花と貴乃花の若貴兄弟、大関魁皇ら「花の六三組」。長身を生かした突き、押し相撲で、特に貴乃花とは激しく出世を争った。新十両、新入幕と新三役こそ貴乃花に2場所遅れながら、序ノ口から歴代1位の18場所連続勝ち越し。大関昇進は4場所、そして横綱昇進は11場所、いずれも貴乃花を先んじた。優勝決定戦も含めれば、通算対戦成績も25勝25敗という好敵手だった。

92年夏場所で初優勝し、場所後に大関昇進。93年初場所で2場所連続優勝を飾り、第64代横綱の座に就いた。北勝海(現八角親方)引退後の横綱空位を埋めるとともに、貴乃花の昇進まで一人横綱を11場所務めていた。横綱3場所目からは3連覇し、年間最多勝も獲得。98年長野冬季五輪では、開会式で晴れの横綱土俵入りを披露した。

一方で膝のケガに悩まされた。初優勝から2年で7度優勝も、94年の両膝故障もあり以降はほぼ10場所で1度と優勝のペースも落ちた。00年は7年ぶりの全場所皆勤と年間最多勝と復活したが、年が明けた01年初場所を両膝悪化で全休し、回復が見込めないと判断。「もう優勝争い出来ない」「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と現役引退を表明した。普段は謙虚な態度で、辛口だった当時の横審の内館牧子委員も「いつも曙の悪口を言っている自分が恥ずかしくなるほど礼儀正しさに感激」と述べた。日本出身力士以上に、日本文化を学び、相撲道や横綱としてあるべき姿を追い求め、実践しようと努めた。

引退後は曙親方として東関部屋で後進の指導にあたっていたが、03年11月5日に日本相撲協会を退職した。翌日には格闘技のK-1参戦を発表。同年大みそかのボブ・サップ戦など話題を提供した。プロレスラーとして全日本の3冠ヘビー級王座などを獲得。最後まで大きな体を生かし、さまざまなジャンルでファンを魅了した。相撲界では、その後の朝青龍、白鵬ら外国出身横綱のパイオニアとなり、相撲界を離れても、希代の人気ファイターとして活躍。多くの人の記憶に残る人生だった。

◆曙太郎(あけぼの・たろう)69年5月8日、米国ハワイ州オアフ島出身。出生名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ。パシフィック大を中退し63年春場所初土俵。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕、91年春場所新三役。三役で3場所通算34勝を挙げ92年名古屋場所で大関に。4場所通過で93年春場所新横綱。横綱在位は48場所。通算成績は654勝232敗181休。幕内優勝11回、三賞6回、金星4個。96年4月に日本国籍取得。