今月上旬、心不全のため都内の病院で54歳の若さで死去した、第64代横綱を務めた曙太郎さんの葬儀が14日午後、都内の斎場で営まれた。

葬儀には、故人が現役時代に師匠を務めた元関脇高見山の渡辺大五郎氏(79=元東関親方)、武蔵川親方(52=元横綱武蔵丸)、元大関小錦でタレントの小錦八十吉(60)といったハワイ出身の元力士や、88年春場所初土俵の同期生で元横綱3代目若乃花の花田虎上氏(53)と元大関魁皇の浅香山親方(51)、曙さんの付け人も務めたことのある同じ高砂一門で元関脇高見盛の東関親方、先代千田川親方の玉城順氏(49=元小結闘牙)、元前頭朝乃翔で日本相撲協会評議員を務める小塚一氏(54)らが参列した。

また、03年に曙さんを格闘技界に勧誘した旧K-1の谷川貞治プロデューサー(63)や、タレントの山田邦子も駆けつけた。また、この日行われた巡業先の、さいたま市から大関琴ノ若(26=佐渡ケ嶽)も父で師匠の佐渡ケ嶽親方(55~藻よ関脇琴ノ若)とともに参列した。

祭壇には、浴衣姿でマゲを結った故人の遺影が飾られ、その両隣には、10回目の優勝を飾った00年名古屋場所、最後の11回目の優勝となった00年九州場所のレプリカの優勝額が飾られ、ひつぎにはハワイ州の旗がかぶせられていた。

【主な参列者のお悔やみコメント】

▽タレント小錦八十吉 やっと長い闘病生活から解放されて、これでご家族も少しホッとできたんじゃないかな。思い出? ありません。たくさんありすぎて普通の付き合いじゃなかったから、ひとことじゃ終わらない。東関親方がいて僕、曙、武蔵丸と外国人が相撲界で活躍するのが当たり前の時代になったけど、彼は歴史に残る力士だった。

▽渡辺大五郎氏 ひとことで言って、まだ若い。もっと頑張ってほしかった。頭はいいしデカいし、マジメな力士だった。(記憶に残るのは)11回優勝したけど、最初の優勝の時がいちばん。まさか優勝するとは思わなかった。ご苦労さんと言いたい。彼は54歳(で亡くなったが)、私は(6月で)80歳。(曙には)頑張ってほしかった。

▽大関琴ノ若 師匠(の現役)と同じ時代の方。師匠より大きい力士は、なかなか見ることがなかったから(小さい自分は)圧倒されました。でも優しかった。まだ(自分には)上があります。いいご報告ができるように精進します。

▽花田虎上氏 あまりにも早すぎます。若い頃から一緒に頑張ってきたので、立ち上がってくれると期待していました。ライバルであり友であり、言葉ではいい表せない存在でした。全員が引退した後、私と曙と魁皇(現浅香山親方)の3人で飲んだりしてそれも思い出です。(寝顔は)苦しい顔をしていたけど、やっと解放されたんじゃないですか。一緒に頑張ってきて良かったね、と心の中で(曙と)話しました。弟の貴乃花と魁皇、私と曙。本当に頑張っていい時代を過ごせました。

▽浅香山親方 教習所に通っていたころから誰よりも体が大きくて、若貴とは相撲のスタイルは違ったけど、稽古していて怖かった。あんな大きい人、見たことがなかったから。でも、すごく優しい人で稽古もつけてくれた。同期生会で集まっても、すごく気を使ってくれた。元気な姿で会いたかった。(寝顔は)穏やかな顔でした。ゆっくり休んで下さい。

▽東関親方(元関脇高見盛) 体も心も、いろいろな意味で大きい人でした。入門の頃、緊張して右も左も分からず何を話せばいいのか分からなかった時、横綱が気軽に話し掛けてくれてホッとした覚えがあります。言葉には出さなくても、自分の背中、行動で教えてくれた人。今、こうしてココに居ても、うそだろう…という気持ちです。先代の東関親方の葬儀が最後に会った時でした。痩せて体が小さくなった姿を見て、何とも切ない気持ちでした。今、相撲界で生きていられるのは曙親方のおかげです。

▽旧Kー1谷川プロデューサー (自ら格闘技界に勧誘したことは)良かったのか悪かったのか分からないけど、感謝しています。ハワイアン特有の楽天的な人でもありました。若貴と曙との三つどもえの優勝決定戦が(視聴率)66%で(ボブ・サップ戦は)43%越えでしたね。あれほど興奮したのは、あの時以外にありません。