AKB48峯岸みなみ(28)が、22日に横浜・ぴあアリーナMMで卒業コンサート「桜の咲かない春はない」を行う。

最後の1期生で、昨年12月に結成15周年を迎えたグループの“生き字引”とも言える峯岸のアイドル人生を振り返る「AKB48と峯岸みなみ物語」第2回は、選抜総選挙のスタートからレコード大賞受賞までのブレーク期。目まぐるしい多忙な日々を送る中で、抱いていたある感情とは-。【取材・構成=大友陽平】

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秋葉原の専用劇場から日々の公演や、さまざまな仕掛けから発せられたAKB48の地熱は、徐々に広がっていく。当初は手作り感満点だったが、トライ&エラーを繰り返しながら、ファンを増やしていった。

「去年からコロナ禍になって、『OUC(おうち)48』で配信などやっていますが、手作り感というか、何でもいいからやって、ファンの方とのつながりを絶やさないようにしようという感じは、昔のAKBを思い出すというか、こういう地道なことも大事だと、思い出させてくれました」

07年末には“アキバ枠”(企画枠)ながらNHK紅白歌合戦に出場。峯岸も、高橋みなみや小嶋陽菜とともに芸能事務所に所属し、派生ユニット「ノースリーブス」としても活動。写真集発売など、ソロとしての活動も幅が広がる中、芸能コースのある学校ではなく、普通の通信制高校に通っていた。

「お仕事も忙しくなってきて、自分が普通でいられる場所があった方がいいなと。『芸能人、芸能人!』の世界にどっぷりつかるのが怖かったのかもしれませんし、メンバー同士で意識しすぎてうまくいかなかったり、私も自分のポジションが悪くなると、ポジションがいい子とうまく話せなくなったりもしましたし、そういうのが嫌だったのかもしれませんね。少しでも心が休まりたかったんだと思います」

グループやソロ活動の広がりは、普通の高校でも実感するくらいのものになっていた。

「中学からの友人とかもいない環境の中、私がAKBというだけで周りに集まったり、教室に見に来るし、朝登校したら、グラウンドで部活をしている人たちにあいさつされたりとか(笑い)。これはすごい! と。その時は、自分のことをAKBに入る前から知っている人と出会う機会がなかったので、高校に行って、みんなAKBを知ってくれているんだというのと、これだけ人が集まってくるんだと実感した記憶があります」

そして09年、のちにAKB48の代名詞となり、社会現象になるまでグループを押し上げることになる「選抜総選挙」が開催された。

「嫌でしたね。若かったし、子供だったので、ひどい! 人間は汚い! って思いました(笑い)。開催が発表になった時(東京・NHKホールでのコンサート)は、トイレに閉じこもって、たかみな(高橋みなみ)が迎えに来てくれたことは覚えてます。今でこそ『○○総選挙』という言葉がいろいろなところで使われていて、やっぱり秋元(康)先生ってすごいなって思いますし、女の子たちが必死になって泣いたり笑ったりする姿を見せることで、人の興味関心を引くって、すごい考え方だなと大人になった今は思えますけど…。でも人ってそういうのが好きじゃないですか? 総選挙のおかげで、グループもここまでこられたのも、もちろん分かっています」

18年の第10回を最後に総選挙は開催されていないが、「自分は卒業する立場だから言えるのかもしれないですけど」と前置きしつつ「なかったら、それはそれで寂しかったです。1年に1回でも、AKBに興味がない人の目に触れて、考えてくれることは、今のAKBにとっても貴重なんだろうなって」と話す。

時計の針を戻そう。第1回の選抜総選挙を終えると、同年10月には「RIVER」で初のオリコン1位を獲得。10年の第2回選抜総選挙→第1回じゃんけん大会開催と、グループは一気にブレークする。テレビやCMにも引っ張りだこ状態となり、次の仕事が何なのか分からないまま、休む間もなく働いていた。

「あまり事の重大さに気付かずにとんとん拍子でいっていたので、ありがたみとか、大事なことを見落としながら駆け上っていったのかなとは、今になって個人的に思います。言われたことをこなすので精いっぱいで、何かを考えて仕事をしていたというよりも、ひたすら、目の前にある仕事を何とかやっていたという…。でもみんな若いし、仲も良かったし、体力と勢いで乗り切ってましたね。何も言われない今が寂しい部分があるくらい、メンタルは鍛えられたと思います」

グループの中では、トークもできて「バラエティー班」として番組にも数多く出演した。

「AKBの番組を通して、ちょっとしゃべれるなと思ってもらえたのか、バラエティーにも出させてもらう時期があって。ただその時は、とにかく大人を否定することで笑いが生まれるんだと子供ながらに覚えてしまっていて、例えば共演の人に『みなみちゃんどう?』と聞かれた時に『気持ち悪いです』と言った方がウケるみたいな。正解なんですけど、大きな意味では正解じゃないような刷り込みがされてしまっていたと思います」

当時は気付けなかったというが、ある芸人からかけられた言葉は、今も胸にある。

「有吉弘行さんにラジオで『峯岸はバラエティーをできてる感が鼻につく』と言われて、その時はすごくショックで、芸能界って怖いなって落ち込んだんですけど(笑い)。そこからすぐには変えられなかったんですけど、すごくその言葉は残っていて、今は年齢的にもそうですし、人を傷つける発言で笑いをとるのは良くないなと、バラエティーの出方は変わりましたね」

11年末、「フライングゲット」で初のレコード大賞を獲得した。15年半の中でも、大きな喜びの1つというが、すっかりネガティブ思考になっていた峯岸は、周りとは少し違い、1歩引いたような感覚だったという。

「私は選抜にいても3列目の端だったので、自覚を持つことは難しくて、私が与えている影響は大きくないと思ってました。みんなみたいに泣くほど悔しくもなく、単純にと思ったらこんなにうれしいんだって当日思って…。同じモチベーションで過ごしていたわけではないのに、メンバーの涙を見たら、時がとまったようにうれしかったのを覚えています。舞台裏で集合写真を撮ったんですけど、集まっていくみんなを見ながら、『これがいつまで続くんだろう』って。今が一番幸せなのかなって思っていたのは事実です」(つづく)