スーパー・ヒーローが競演した米映画「ジャスティス・リーグ」が23日公開された。

 登場したのはバットマン、ワンダーウーマンらDCコミックのヒーローたち。「マン・オブ・スティール」(13年)に始まり、昨年の「ジャスティスの誕生」「ワンダーウーマン」を経て、DCヒーローが顔をそろえるドリームチームの誕生となった。「アベンジャーズ」(12年)で先行スタートしたライバル、マーベル・コミックの“戦隊モノ”にようやく追いついた印象だ。

 「-リーグ」公開には感慨深いものがある。撮影大詰めとなった今年5月に、完成が危ぶまれる局面もあったからだ。ザック・スナイダー監督が突然降板を発表。プロデューサーを務める妻のデボラもこれに続いた。理由は夫妻の娘の急死とされている。危機を救ったのが、なんと「アベンジャーズ」シリーズのジョス・ウェドン監督で、夫妻の演出プランを忠実に引き継いで完成にこぎ着けた。

 ライバル「アベンジャーズ」シリーズには、壮大な構想にそって着々と進行しているイメージがあるが、DCサイドには製作にまつわるアクシデントがあったり、悪役軍団の「スーサイド・スクワッド」(16年)の公開が先行したり、なかなか先行きが読めない。が、ともあれ今回の作品で2大アメコミ出版社のドリームチームがついに本格スタートを切ったことになる。

 異星から来た超人がいれば、突然変異的に超能力を身につけた者、神の血を引く者…DCスーパー・ヒーローの由来はマーベル以上にすそ野が広い。個々のストーリーの中ではその活躍の背景としてつじつまが合わされているが、競演となると交通整理は難しい。

 「ダークナイト」(08年)以来、10本近くこのジャンルの作品を手掛けてきたプロデューサーのチャールズ・ローブン氏は製作に際して「それぞれの作品が抱える決まり事に敬意を払い、それぞれのキャラクターが生きる局面を創り出さなくてはいけない。そこにやりがいがある」と語っている。

 超人それぞれの決まり事であるパワーの質や量には大きな幅があり、それが横並びで登場する戦隊モノには調整役というか旗振り役が必要となる。マーベルがアイアンマンなら、DCではバットマンがその役を引き受けている。

 ともに財力にものをいわせてハイテクの殻を被ってはいるが、中身はただの人間である。彼らの技術的パワーアップが他の超人たちの能力を測る目盛りのような役割を果たし、ストーリー展開を整理していく。

 舞台は前作「-の誕生」で死亡したスーパーマン亡き後の世界。その隙を狙って宇宙から最強最悪の「ステッペンウルフ」がやってくる。残されたヒーロー、バットマンとワンダーウーマンが各地の個性派超人を募ってチームを作り、この強大な敵に立ち向かう。簡単に言ってしまえばそんな物語だ。

 「ジャスティスの誕生」に続いてベン・アフレック演じるバットマンは、激闘後のあざだらけの背中をワンダーウーマンにのぞき見られたり、「中年の弱音」を漏らしたり…今回は弱味を魅力に変えて、旗振り役にいそしんでいる。

 対照的にガル・ガゴットのワンダーウーマンはスローモーションの多用でシャープな脚線美を見せつける。上から目線全開のキャラは、ちょっとでもMっ気のある男性ならたまらないだろう。

 バットマンの暗闇の深さが大好きで、どちらかといえばDC派なのだが、この作品ではさらにフラッシュ、アクアマン、サイボーグとこれまでなじみのない新鮮キャラが登場。お楽しみのタネが少なくない。

 フラッシュは早さだけはスーパーマンにも負けないが、素顔は平凡に見える学生。アベンジャーズに新規参入したスパイダーマンのような位置づけだ。

 アクアマンはマイティー・ソーの海版。北大西洋の漁師に重なる頑固オヤジぶりに、圧倒的な「水芸」で異彩を放つ。

 悲しい生い立ちのサイボーグは、その由来からスーパーマンにも届きそうな恐るべき潜在能力を秘めている。サイボーグに限らず、キャラそれぞれの背負う過去の暗闇は深く。それがDCリーグの厚みである。

 最後になったが、この作品には序盤からスーパーマンの母親(ダイアン・レイン)と恋人(エイミー・アダムス)も登場する。その意味するところは…。

 アメコミ好き、戦隊モノ好きをくすぐる要素の尽きない作品である。【相原斎】