昨年10月の東京国際映画祭でグランプリを獲得した仏映画「アマンダと僕」が22日から公開された。パリを舞台にテロで肉親を奪われた家族の再生物語。抑制の利いた演出で登場人物の心理をきめ細かく描き出し、悲しみの向こうにほのかな希望を感じさせる作品だ。来日したミカエル・アース監督(44)に聞いた。

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-24歳の主人公は便利屋のような仕事をしていて地に足が着いていません。テロでシングルマザーだった姉を失い、その7歳の一人娘と向き合わざるを得なくなります。

「パリ生まれの人間として今日のパリを描こうと思いました。4年前に同時多発テロがあり、その後のパリを身内の不幸というプリズムを通して描きたかったんです。大きな子どもが小さな子どもを背負うことになって、果たしてどう生きていくのか。『父性』の芽生えを通して感情のぶつかり合いを映してみたかったんです」

-15年の同時多発テロは130人の人々が亡くなる大惨事でした。でも、この作品では銃撃音が響くわけではなく、主人公の姉が残した洗面所の歯ブラシなどが効果的に使われています。憎しみではなく、悲しみと再生に軸足が置かれています。

「日常の細部を克明に描くことで、人々に本当の悲しさ、恐ろしさを伝えようと思いました。身近な人が残した何げないオブジェにこそ悲しみは宿るんだと思います。また青年が一方的に少女を支えるのではなく、逆に少女に励まされる中で、ほんのりと明かりが見えてくる。そんな風に描きたかったんです」

-青年を演じたヴァンサン・ラコストと少女を演じたイゾール・ミュルトリエの演技が自然でした。

「ヴァンサンはコミカルな演技で人気があるのですが、今回のようなドラマチックな役は初めてでした。深みのある演技の中にも軽やかさを残し、決して重苦しくならなかったところが素晴らしいと思いました。駅で突然泣きだすシーンは脚本にはなく、即興で撮ったのですが、人混みの中でふいに突き上げてくる悲しみにリアリティーを出してくれました。イゾールはいわゆる『ワイルド・キャスティング』です。演技経験のある子役には計算を感じてしまうので、学校でオーディションのビラを配り、彼女は体育館から出てきたところで声を掛けました。幼い部分に早熟さが混じり、芯の強さを感じました。シングルマザーに育てられたという設定にフィットする気がしたんです」

-抑制を利かせ、可能な限り省略して背景を想像させる手法は小津安二郎のような往年の日本の映画監督に重なる気がします。

「本当のことを言えば、日本映画や監督のことはあまり知らないんです。でも、私の映画を見た人から同じようなことを言われたことがあります。核にあることをそのまま描くのではなく、周辺にあることをきめ細かく描くことでその核の本当の姿を見せるようなスタイルが好きなんです。絵画で言えば印象派のような。そんな撮り方が昔の日本映画に似ているのかもしれませんね。パリで小津監督の回顧展をやっているので、早く映像体験をしてみたいと思っています」

-大学では経済学を専攻されたそうですが、映画界に転じたきっかけは何だったんですか。

「子どもの頃から映画が大好きだったのですが、芸術とは縁のない環境で育ち、遠い世界のことと思っていました。でも、経済学を勉強して、いざ就職となったとき、全然やりたくないことに一生を費やしていいのかと思い直し、ダメもとで国立映画学校(FEMIS)を受験したところ、合格してしまったのが、きっかけといえばきっかけです」

-好きな映画監督、作品を教えてください。

「例えば(フランソワ)トリュフォーは大好きですが、さまざまなタイプの監督、作品を楽しむ方ですね。こだわりと言えば、むしろ音楽の方で、今回はエンディング曲をパルプのジャーヴィス・コッカーにお願いしました。若い頃から憧れの人で、彼とはいつか一緒に仕事がしたかった。こうして映画の仕事をしていることで、夢がかなったんです(笑い)」【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)

◆ミカエル・アース 1975年、パリ生まれ。大学では経済学を専攻していたが、映画学校FEMISに転校する。短編「Charell」(06年)がカンヌ映画祭批評家週間に選出。「Memory Lane」(10年)で長編デビューを果たし、ロカルノ映画祭ワールド・プレミアで上映された。「アマンダと僕」は長編3作目となる。