「岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない」(岩波書店)が4月28日、発売される。

岸惠子さん(89)にはこの5年間で4回ほどインタビューする機会があった。その度に驚きの体験談があり、確かな記憶力やまるで物語を聞くような語り口に感服させられた。

横浜空襲の生々しい記憶、映画全盛時の意外な心の内、そのさなかの国際結婚とパリ生活、中東やアフリカでの命懸けの取材体験……。改めて本人の文章で読むと、映像のように生き生きと伝わってくる。文筆家としての才能はいまさら言うまでもないかもしれないが、さくさくと小気味よく、本音でつづられる文章は気持ちがいい。

女優業のことや私生活同様に、中東やアフリカの出来事や人々についての描写にも突き放すようなところはみじんも無い。取材対象を決してひとごとにはしないのも岸さんらしさだ。

エピソードをいくつか拾ってみる。

横浜空襲で大人たちの忠告を聞かずに1人公園に逃れ、木に登った岸さんに敵の小型戦闘機が低空飛行で接近する。

「殺気をはらんだ飛行機がすぐ傍らを通ったとき、パイロットの青ざめた顔が機体の窓から見えた」

大人たちが入れと命じた横穴防空壕(ごう)にも爆弾が落ちて燃えた。岸さんは誓う。

「もう大人の言うことは聴かない。十二歳、今日で子どもをやめよう」

映画全盛時のロケの帰り道、時の大スター鶴田浩二に乗せてもらった新進女優の岸さんは唐突に「銀座のド真ん中を鶴田さんと歩いてみたい」と言う。「恐ろしいことを言うお嬢さんだね」と受けながら鶴田さんは「天下の大道を歩こう」と箱根山に回り道をする。

「あまりの美しさにわたしは息を飲んだ」と岸さんが振り返る満天の星。だが、次の瞬間、岸さんの片足はズブズブと冷たいところに落ちる。「きゃ、変な臭い」「君は浮かれすぎて、あぜ道から肥やしをまいた田んぼに落ちたんだよ」

スター同士のほほ笑ましいエピソードである。

夫のイヴ・シャンピ監督の母、イヴォンヌさんは著名なヴァイオリニストだった。そして名うてのギャンブラーでもあった。

賭け事には全然興味の無い岸さんだが、日仏合作の主演作「忘れえぬ慕情」がヒットしていたころ、モンテカルロのカジノで黒山の人だかりの中で大勝ちする。ディーラーは夫シャンピさんに「母上の再来ですね」と興奮した面持ちで語る。

シャンピさんが亡くなってから1年あまり。パリで起きたジハード(聖戦)のテロに衝撃を受け、51歳になった岸さんは「自分の眼で見て、肌で感じる」と言うシャンピさんの残した言葉を胸に、ホメイニ革命下のイランを訪れる。好奇心のままの行動。あわやのピンチを切り抜ける一方で、殉教者にささげられた血色に染色された噴水におののく。目の当たりにしたイスラムの厳格な習慣に1周まわって「笑い転げるほどのユーモア」を感じたりもする。

横浜空襲の12歳から89歳の現在まで、好奇心は衰えを知らないようだ。円熟と若々しさが同居した、他に無い一冊だ。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)