松竹の100周年記念作「キネマの神様」(原田マハ原作、8月6日公開)は、昨年3月のクランクイン以降、W主演の1人だった志村けんさんの急死、緊急事態宣言による撮影の中断、そして2度の公開延期と、コロナ禍による困難に見舞われ続けた。

製作中に89歳になった山田洋次監督は、心が折れそうになった時もあったに違いない。が、現代パートのコロナ禍の描写も含め、そんなあれこれを折り込んで、文字通り時代を反映した作品に仕上がっている。

ギャンブルの借金で首が回らない老人ゴウにも、全盛期の映画撮影所で助監督を務めた躍動の時代があった。人生を懸けた初監督作品「キネマの神様」が不慮の事故でお蔵入りとなり、撮影所を去った青年の成れの果てが現在の情けないおじいちゃんなのである。

現代と過去を交錯させながら、この「キネマー」の台本がカギになって、ダメ老人が再生していく展開で、文字通りの「映画の神様」の存在をほのめかすファンタジックな幕切れにつながっていく。

青年期を菅田将暉、志村けんさんが演じるはずだった晩年期は沢田研二が演じている。

ハンチング帽が印象的な菅田は、映画全盛期の助監督はまさにそうだっただろうと思わせる好演だ。純粋で、時にいらつき、巨匠の域に達している先輩たちを尊敬しつつもその作風には疑問を抱えている。

撮影が中断していた昨年夏、山田監督に自らの助監督時代の話を聞く機会があった。

「一般的に認識されていた『松竹映画』をどこかでバカにしているところがありましたね。目指すのはそんなところじゃない、と。でも一方で小津安二郎がいたし、木下恵介もいた。若手では野村芳太郎さんもいた。この人たちはやはり違うという思いがありましたね」

そんな思いが菅田のセリフの端々に宿り、撮影所やその周辺の細部に反映されているからだろう。初メガホンの震えるような緊張感や、大道具、小道具に至る撮影所のたたずまいに時代のリアリティーを感じさせる。

現代パートの沢田のダメ男ぶりもいい。元映写技師の親友(小林稔侍)が経営する映画館の冷蔵庫から、缶ビールを拝借して飲んだときの喜悦の表情1つまで自然だ。あのジュリーが、と思う。志村けんさんが乗り移っているように見えてしまう。

そして若き日のゴウの憧れの女優であり、仕事仲間でもあった北川景子がはまっている。モノクロ映像にも映えるきれいな輪郭。山田監督は、助監督時代に感じた大女優のオーラに近いものを北川に感じたのかもしれない。

そして、その北川が絡んだ終盤のファンタジー。山田監督は昨夏のインタビューで「(漫画家の)手塚治虫さんと対談したときに『カイロの紫のバラ』(85年=ウディ・アレン監督)のようなものを撮って欲しいと言われたことが、ずっと心に残っていました」と、そのきっかけを明かしている。

この作品にはさまざまな人の思いがこもっているのだと、改めて思う。【相原斎】