NMB48の“しんしん”こと新澤菜央(26)が、思い出の地を巡る“聖地巡礼”の旅。10年10月9日にスタートしたNMB48は毎年、この時期に周年公演を行う。今年は10月8、9日に14周年を終えた。今回はその「周年公演」や、先輩の卒業コンサートなどで立った大阪城ホールにお邪魔した。アイドルとしてはもちろん、一アイドルファンとしてもたびたび足を運んだ大阪が誇るホールの思い出とは-。【取材・構成=阪口孝志】

思い出の大阪城ホールでポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)
思い出の大阪城ホールでポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)

■感動もハプニングも胸に

18年10月17日、新澤は大阪城ホールのステージに立っていた。8周年記念コンサートだった。「全部の曲を初めて踊るじゃないですか。簡単な曲も踊れなかったので大変でした」。

それもそのはず。加入して3カ月もたっていない。これだけのキャパを誇るアリーナも初めて。レッスン場でいくら練習しても客席を走り回るイメージはわかない。覚えることだらけ。なかでも、「高嶺の林檎」に苦しんだ。

思い出の大阪城ホールを訪れたNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)
思い出の大阪城ホールを訪れたNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)

「本当に難しくて。踊れるって自分が思うまで帰ったらダメって言われて、何日も踊り込んで。私、ポジションが0番(舞台中央)だったんですよ。(山本)彩さんがセンターでずっと真後ろで見切れてて。一番ダンスが下手だったので気まずくて、頑張って隠れてました」

AKB48グループ全体を見渡しても、NMB48の楽曲のダンス難易度は高かった。当時、キレのある山本彩、柔らかな渡辺美優紀をはじめ、AKB48全体を見渡しても有数のダンサーがけん引していた。

楽屋でポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)
楽屋でポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)

舞台に上がると感慨も何も「それどころじゃなかった」。公演を終えた後も達成感より次回への反省が尽きなかったが、「ペンライトの色で、最前列に私のファンの方がいてくれたのがはっきり分かりました。キレイだった」。感動は胸にしっかり刻まれている。

ハプニングも覚えている。次世代コンサートでのこと。「『恋愛被害届け』って曲で、チャームポイントにハートシールをつけるはずがなくて。あわててテーピングにハートを書いて。かわいくはなかったです」と笑う。

20年10月、卒業コンサートを行った吉田朱里(C)NMB48
20年10月、卒業コンサートを行った吉田朱里(C)NMB48

この大阪城ホール。NMB48に入るきっかけとなった吉田朱里の卒コンの舞台でもあった。「めちゃくちゃ気にかけてくれたので寂しかった。でも、一緒にユニットもできたし、最後、朱里さんから『しんしんはそのまま、自分を貫いて』って背中を押してもらって、また頑張ろうって思えました」。

20年10月、吉田朱里の卒業コンサートに出演した新澤菜央(C)NMB48
20年10月、吉田朱里の卒業コンサートに出演した新澤菜央(C)NMB48

■15周年へ「いいスタート」

アイドルになる前は、一ファンとして大好きなももいろクローバーZのライブにも行った。「初めて来たときが女の子限定ライブで5列目くらいで。自分と同じ佐々木彩夏さんファンのピンクの服を着た子が多くてうれしかった」。

楽屋でポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)
楽屋でポーズをとるNMB48新澤菜央(撮影・石井愛子)

そんな新澤も先日行われた14周年記念コンサートでは成長した姿をファンに披露した。

「『天使のユートピア』公演を振り返りつつ、個人的には同期の最後を見送ることもできました。15周年の始まりのいいスタートが切れたと思います」

新澤の新しい歩みが始まった。

 
 

◆新澤菜央(しんざわ・なお) 1998年(平10)8月2日生まれ、兵庫県出身。チームB2。18年7月に6期加入。19年9月、正規昇格。20年3月「だってだってだって」初選抜。“あざとかわいさ”が武器。身長156センチ、血液型B。愛称「しんしん」。

 
 

◆大阪城ホール 1983年(昭58)10月オープン。大阪城の隣という好立地と最大1万6000人の観客収容力、出演者と観客がお互いに顔を見やすいという特長を備え、コンサートを中心に国内外のスポーツ大会や式典など、様々なイベントを開催。来場者だけではなく、アーティストから「大阪城ホールのステージに立つことが目標だった」と言われ、東京の日本武道館に匹敵する大阪が誇る多目的アリーナ。